■読者のページ〜2004年2月〜

★海からのおたより・8

2:千葉市の海・いなげの浜

かつて千葉の海は「白砂青松」とうたわれた美しい海岸線が19kmも続いていたといいます。先月まで開催されていた中央博物館の企画展「江戸時代の東京湾」では稲毛の浅間神社の鳥居が海の中に立っていた写真が印象的でした。現在の千葉市には自然の海岸線は全く残っていません。

明治時代から徐々に埋め立てられてきた千葉の埋立地は市の面積の8分の1にもなるそうです。国道14・16号線はかつての海岸通りでした・美浜区は全てが埋立地で、海にちなんだ地名がつけられています。

漁に使われていた「打瀬船(うたせぶね)」にちなんだ「打瀬」という地区がありますが、マンションの建ち並ぶ整然とした町並からは漁村のにおいは全く感じることはできません。「幕張ベイタウン」、こちらのほうがしっくりいくようです。いなげの浜から幕張の浜にかけての地域がなぜ美浜区なのか、千葉市民になって3年近くたってようやく分かりました。

日本初の人工の浜
いなげの浜は世界で2番目、日本初の人工の浜です。砂浜の長さは1.2km、稲毛海浜公園の面積は83ha、東京ドーム20個分の面積があるといいます。1960年代に埋め立てが始まり、1976年に人工海浜がオープンして潮干狩でにぎわったそうです。

美しい往時を思わせる松林を抜けて浜へ出てみました。(日本の白砂青松100選になっています)細かい白い砂が広がる砂浜には鳥が遊んでいました。いつものようにビーチコーミングをしてみると色々収穫がありました。

アサリ、バカガイ、シオフキ……人工の浜にも干潟で普通に見られる貝たちが棲んでいました。これらの貝は昔から貴重な食料でした。その中に見慣れない貝(エゾタマキガイ)を見つけました。今まで歩いてきた南房総では見つからなかった貝です。新しいものではないようです。さっそく持ち帰って調べてみましたが、人工の浜を作るときに運ばれた砂の中に入っていた化石のようです。人工の砂の浜は一体どこから来たのでしょうか?
(←写真上にマウスを置くと画像が変わります)


はじめは、北海道、四国など色々なところの砂が運び込まれたようです。そこで稲毛公園事務所にどこの砂がまかれているのか問い合わせてみました。いなげの浜の砂は白い、というよりも黄色がかった非常に細かい砂でした。私はこんな砂は今まで海で見たことがありません。もしかして山の砂ではないかと考えました。するとまさにその通りの答えが返ってきました。

砂の流失が多く、以前は沖の海底の砂をまいていたそうですが、のり養殖の漁業権の問題で最近はできないということでした。鎌取のニュータウン造成中に山砂が出たのでそれを平成9〜10年に入れ、それ以後は莫大な経費がかかるので新たに入れていないということでした。検見川、幕張の人工の浜はいなげとは別に管理されているのでそれぞれ違った砂がまかれているようです。現在いなげの浜には外からは見えませんが、砂の流失を防ぐ装置が海底に設置してあるそうです。

遠浅だった稲毛海岸は潮が引くと1kmくらい沖まで歩ける干潟だったそうです。現在の浜は当時からするとかなりの沖になり、わんぱくランド、清掃工場のまえの護岸の海が当時の深さだということです。

リゾート地だった稲毛海岸

明治28年に千葉県で初めての海水浴場として知られるようになった稲毛海岸は、その後も多くの文人に愛される風光明媚な保養地でした。最後の皇弟愛新覚羅溥傑氏が新婚生活を送った「ゆかりの家」もデンキブランで有名な浅草の「神谷バー」の神谷伝兵衛氏の別荘も、現在稲毛浅間神社近くの高台に保存されています。

どちらも素敵な建物です。窓を開けるとこの季節は海の向こうに雪の富士山が見えたことでしょう。皆さんも是非訪ねてみてください。


このあたりでは松林など海の名残を感じることができます。「稲毛に来ると海の家で、あさりのお味噌汁を飲んだものだよ」と「ゆかりの家」で管理をしているおばあさんが話してくれました。東京湾の恵みを受けた漁場は今は住宅やオフィスとして姿を変えています。稲毛に多いといわれる姓「海宝」さんや「海保」さんはかつての「稲毛海岸駅」といわれた現在の「京成稲毛」付近に集中しています。

ところで、鎌取付近が海の底だった時代って?
海をテーマにしたちょっとした時間旅行でした。

昔の海岸について興味を持たれた方は
市民フォトちば 2003・秋(千葉市)
2001市政要覧 写真集「千葉市のあゆみ」
子ども向きには「まちづくり自習室」http://www.machidukuri.net
ご覧になってみてください。

どんぐりつうしん変集長
谷口優子
e-mail:taniguchi-donguri@nifty.com