■読者のページ〜2002年6月〜
『日付変更線』〜2002年春・小学生のぼくがカンボジアで見たもの、感じたこと〜パート1 五十嵐敬也

★はじめに

2002年3月、11才、小学校5年生。ぼくはこの春、今まで見た事もないものをたくさん見て、いろいろな思いをしてきました。『国境なき医師団日本』と『国境なき子どもたち』が募集していた子どもレポーターに応募して、この春のレポーターとして連れていってもらったのです。

行った国はタイとカンボジアで取材はほとんどカンボジアでしました。

昨年の自爆テロ事件は、すごいショックで、あの事件がきっかけでぼくは色々な事を知りました。知ると今度は知らん顔ができなくなりました。

世界中の難民の数は、ぼくの住んでいる千葉市の人口の20数倍だそうです。驚くというより恐ろしい気がします。

今も毎日のようにパレスチナの現状が伝えられていますが、いつになったら地球が平和で包まれるのか不安です。


『アンコールの神様へ』

アンコールの神様
私はあなたの堂々としたお姿が大好きです
その優しいお顔に吸い込まれそうでした

でも
どうしてこの国は貧しいのですか
どうしてたくさんの家族が
ばらばらにならなければならないのですか
悲しい過去はいつになったら消えるのですか

どうかお願いです
みんなに贈り物を下さい
友達を 食べ物を お金を 家を 平和を
どうかお願いです

★出発

『国境なき医師団日本』は1992年に設立されて、1995年から『子どもレポーター』を募集している。

今までにも、カンボジアやタイ、中国、ベトナムなどの国々で取材を行っていて、ぼく達でちょうど計30人になった。『国境なき子どもたち』は1997年に設立された。今回は京都の亀岡市に住む中学1年生(今は2年生)の四方香菜さんとぼくが選ばれたが、2月に電話をもらった時は、今までで一番びっくりした。他の子を連れていけば良かったと言われないように頑張らないといけないし、体を壊して行けなくならないように、すごく緊張していた。そして3月18日、『国境なき医師団日本』と『国境なき子どもたち』の事務局長のドミニク・レギュイエさんスタッフの金珠理さん、映像プロジェクトの清水匡さんと一緒にぼく達は成田を出発したのだ。ドキドキが80%ワクワクが20%の旅立ちだった。

18日………成田からタイのバンコクへ
19日………バンコクから国境の街アランヤプラテートへ
20日………歩いて国境を越えてカンボジア入国、国境の街ポイペトから バッタンバンへ
21日………バッタンバンで『ホームランド』と『若者の家』などを取材
22日………バッタンバンで『ホームランド』と『若者の家』などを取材
23日………バッタンバンからアンコールワットの街シュムリアップへ
24日………シェムリアップ
25日………シェムリアップからプノンペン、夜バンコクへ
26日………バンコク
27日………バンコクから成田へ

★国境付近

タイ側国境付近のマーケットへ行くと、いきなり小さな子ども達が人なつっこく近寄ってきた。後でわかった事だけど、小さい子ども達と思っていた子が、実は年上だった。栄養不良で背が低いだけだったのだ。そしてぼく達に傘をさしてくれ、何か話しかけてきたけれど、言葉が通 じないのでわからなかった。ぼくは、どうしていいのかとまどいながら、皆と一緒に歩いていた。

後で聞くと、その子ども達は『トラフィックトチルドレン』と呼ばれていて傘をさすのは、仕事だという事だった。毎日、カンボジア側から国境を越えてタイへ働きに来ているそうだ。トラフィックトチルドレンとは人身売買された子ども達の事だけど、皆とっても明るかった。それが余計に悲しかった。子どもを売る大人がいるなんて絶対許せない。人身売買なんて本の中だけの話で、今までいくら実話と言われても信じられなかったけれど、本当だったのだ。

子ども達とは、一緒にご飯も食べたけれど、皆本当に明るかった。悲しい過去も人事のように話してくれたので、ぼくはどんな顔をしたら良いのかわからなかった。思ったのは日本人のぼく達は本当に幸せだという事だ。だけど、いつも文句ばかり言っていて恥ずかしい。ドミニクさんがお金を渡していたけれど、あれで何日もつのだろう。

いよいよ歩いて国境を越えようとしている時、ぼくはすごく驚いた。前の日に一緒にご飯を食べたショム君達が、有刺鉄線のある柵を越えていた。シャツが破けていた子がいたけれど、こういう事をしていたのか、と思った。ショム君は簡単に柵を越えて、トンネルのような穴に逃げるように消えた。銃を構えた兵士が3人いたので、見つかったらどうしようとドキドキした。他の子ども達はちゃんと道を通 っていたのに、どうしてショム君はあんな危ない方法で国境を越えていたのだろう。聞くのも恐くて、ぼくはずっと見た事を黙っていた。

それからいよいよカンボジアへ入った。カンボジアの第一印象は強烈な“匂い”だった。フルーツや汗や薬や砂埃などのいろいろな匂いが混ざって、とにかく臭かった。そしてまた子ども達と再会した時、ショム君もいた。シャツは破けていなかった。びっくりしたけれど、無事だったので良かった。ショム君は元気かなぁ。今日も有刺鉄線を越えているのかなぁ。

『柵』

トラフィックトチルドレンの子どもたち
みんなが持っていたのは
日焼けした肌と破れたシャツ
そしていっしょうけんめいな瞳と生きる力

みんなが必要なのは
おいしい食べ物と優しい家族
そしてたくさんの愛情と明るい未来

苦しみの有刺鉄線でシャツを破かないで下さい
でも心の柵はまだ越えられないのですか
どうしたら柵を越えられますか

柵の向こうには自由があります
柵の向こうには未来があります
柵の向こうには希望があります

★ホームランド

『国境なき子どもたち』はバッタンバンにあるNGO『ホームランド』を支援している。ここは小さい子ども達が収容されている。訪れた第一印象は、明るくて温かい感じだった。最年少の子は2才で、両親がもういない事もわからず無邪気に笑っていた。

ぼく達は日本から持ってきたお土産を渡して、一緒に遊んだ。ぼくは大好きな谷川俊太郎先生の「かっぱ」の詩を朗読した。手作り人形のかっぱをプレゼントしたら、皆とても喜んでくれた。そして、ぼくのあだ名は「かっぱ」になった。

香菜さんは、シャボン玉やカードを持ってきていて、そのカードは、香菜さんの中学校の1年生全員で自己紹介を書いたものだった。心のこもったプレゼントで、いいアイデアだと思った。皆、すごく嬉しそうにカードを握り締めていた。

遊んだ後、元トラフィックトチルドレンの子ども達にいろいろな話を聞いた。働いていた時は、ほとんどトラフィッカーという雇い主に稼ぎを取られていたと言う。トラフィッカーは親から子どもを買って、カンボジアからタイへ連れていき、いろいろな仕事をさせるらしい。そして、稼ぎが少ないと、殴られたり、電気ショックを受けさせられたという話を聞いた時にはとても驚いて、鳥肌がたった。答えてくれた女の子はまるで人事のように話していたので、ぼくは何と言ったらいいのか困って、じっと黙っていた。

子どもたちはタイで警察に捕まって、カンボジアの施設に入った後、ここへ収容されたのだそうだ。警察に捕まらないで、今も働かされている子がたくさんいるのだろう。本当に大人に腹がたつ。犯罪を犯す子どももいるけれど、それは大人がさせているのと同じだ。大人が全員悪いわけではないけれど、少なくとも子どもはちっとも悪くない。ぼくは前に作った自分の詩を思い出した。ここの子ども達には、今から自分達ですてきな家族を作ってほしい。皆、幸せにならなくちゃいけないと思った。

『ジグゾーパズル』

パズルと家族は似ています
毎日いろんな形になります
みんなでいろんな形を作ります
だから ひとつでもなくしたらだめです
ひとつなくしたら さみしくなる
ふたつなくしたら かなしくなる
ぜんぶなくしたら 泣きたくなる
だから
はぐれちゃだめなんだ

次回へ続く