■読者のページ〜2002年3月〜
ペーター(PETER)の家へ(2002年1月1日)
〜 スウェーデンの一家庭からスウェーデン児童文化事情等を見る。堅い副題だ!〜

ストックホルムから、南東へ少し行った郊外にペーターの家があります。彼が、ストックホルムに住んでいる頃には、訪ねたことはありましたが、その後引っ越したここに、私が訪れるのは初めてです。いつものように日本酒持参の訪問です。彼、これ大好きなんです。

湖のそば、遙か昔のバイキングの眠る古墳群が近くにあります。何の墓標もない小さな土饅頭がいくつかまとまっています。夏だと緑がいっぱいで、湖に遊びに来る人も多いらしいですが、今は、そのお墓もみんなすっかり白い雪をかぶっています。今年は、10年来の大雪だそうです。

ペーターの家は、典型的なスウェーデン人の家と比べても、ちょっと大きいです。2階建てで、1階には、トレーニングルームと白い大きなバスタブ、サウナと卓球室までを持っています。現役の煙突もあります。バスタブでゆっくりするのが、癒しとなるようなこと、いってました。

日本にきたことがあって、それで覚えた日本の風呂だそうで、これに入るとゆったりできるのだとか。彼の話だと、近頃ストックホルムの人たちも癒しを必要としているみたいです。私なんかは、スウェーデンの空気が吸えるだけで今のところすごく癒しとなっているのにね。

ペーターには、奥さんと2人の娘さんとそれとウサギが3羽います。一人は12歳になるエミリー。家の中が暖かいこともあり、現代っ子らしく、おヘソの見える半袖のTシャツで迎えてくれました。2000年を迎えるとき一緒にストックホルムの夜のイベントと花火を見た子です。ピカチュウのチョコレートもあげた子です。そのピカチュウは、ヨーロッパでは、まだ、人気を博しているようです。土産物屋のTシャツにもあったし、朝、テレビでも放映されていました。

もう一人は2歳のマヤ。
マヤちゃんには、今回初めて会います。写真は何回かもらっていたので、それ見ててっきり男の子だと思っていたのですが、実際は女の子でした。前に、エミリーの時も男の子だと最初勘違いしてまして、外人は、見分けが難しいですね。

2人とも、全然人見知りをしない、ロッタちゃんみたいにブロンドのショートカットのかわいい子です。エミリーは、日本のことが大好きで、特にお寿司が大好きで、毎週1回は、食べてるのだそうです。

だから、私、即席のみそ汁とお吸い物を持っていってあげました。これすごく喜ばれたようです。ストックホルムの寿司屋は、私のいつもの街歩きの通り道にある「札幌」はまだありましたし、別なところにも新しく発見しまして、増えているようです。

また、折り紙を持っていったら、エミリー、もうこれに夢中になってしまって、一生懸命、鶴の折り方を覚えていました。覚えるのがすごく早く1時間後にはもう覚えていましたね。こちらでは、折り紙のような色のついた小さな四角い紙って、やはり珍しいようです。ところで、「鶴」って言う言葉が、彼らには、理解し難かったようです。折り鶴は、彼ら最初、白鳥と思っていたそうです。そこで、英語でクレイン(crane)といっても分かってもらえず、日本のJALの飛行機の尾翼についていたマークとか、フラミンゴのようなものといって何とか分かってもらえたようです。

マヤは、長靴下のピッピが大好きです。ビッピの人形だけでなく、ピッピのテントハウスを持ち、ピッピと同じ赤毛の鬘(かつら)も持っていて、お気に入りです。そして、すっかりピッピになりきってしまうのです。

こちらでは、リンドグレーンがやはり強いです。これは親の影響もあるようです。スウェーデンでは、親たちが親しんできたリンドグレーンをまた子供たちに伝えていっているためとのことです。リンドグレーンものでは、以前、やかまし村やエミールなどのお話の本人吹込みのテープがありましたが、このごろはCDが、店にはたくさんあります。昔からの代々伝わる子供の歌の本があるのですが、そのCDも売っています。(「きらきら星」もスウェーデン語ヴァージョンで入ってます。)(表紙の絵柄から見ても、50年以上は古いかもしれないと伺われます。)

また、ベルギーの話なのになぜか「タンタン」の話の吹込みテープもたくさん売っていました。こちらでは有名なのでしょうか?そうそう、旅行では、私、いつもCDを探したりするのですが、日本のアーティストのものも、見るようになりました。米良さんだとか吉岡隆(?)だとか、私あまり詳しくないのですが、日本人の名前を少なからずみました。どんどん海外に出ていっているのですね。

で、ミッキーマウスは、ディズニーランドが遠いため、ちょっと勢いがないとのこと。でも、彼女の部屋にはミッキーマウスが一つありましたけど。

やはり、ハリーポッターは今のところ最高に強いです。エミリーも読んでるそうで、本屋にも、それ関係のスケールやら、なにやらいろいろと文具もカレンダーもたくさん売っています。でも、近頃は、トールキンの「指輪物語」もでてきてました。映画のポスターがあちこちに貼られていたり、その映画を基にする本も出版されていました。(日本に帰ってみると、Japan Times Weekly 、今年第一号の新年特別号で、指輪物語の特集を組んでいましたっけ。)

エミリーは、日本語がちょっとだけできますが、英語も話せます。スウェーデン人って、英語はうまいです。何で彼らが英語がうまいのか?学校では7歳頃から英語を習い始めるのだそうです。それよりも影響の強いのがテレビ。テレビでは、英語の映画では、文字放送のようにスウェーデン語の訳が一緒に写されています。だから、それに親しんでいると、英語がふつうにしゃべれるのだそうです。BBCなど英語の放送も、ふつうにテレビでみられるのですから、英語に親しむことが、すごく容易であることも理由の一つではないでしょうか。

スウェーデンでは、たいていの若い人は、英語が話せます。公用語はスウェーデン語とはいえ、英語で彼らとは意志を通じ合え、旅行はできてしまうのです。どっちが母国語か分からないくらい英語はうまいです。ネイティブでないから、日本人にもわかりやすい英語を話してくれます。おもしろいのは、日本にいるスウェーデンの方に聞いたことですが、在日スウェーデン大使館や領事館からの在日スウェーデン人に対する案内って、スウェーデン語ではなく、英語で来るのだそうです。

ベスコフは、マヤちゃんの食卓のテーブルマットにかかれていました。私は今回の旅行では、2001年に日本ででた「ちいさいちいさいおばあさん」の原書を見つけて帰ってきました。ベスコフのカレンダーも探したのですが、今年は見つからず残念。スウェーデンの絵本を基にしたカレンダーは見つけたのですが、これ、絵柄は去年と全く同じです。カレンダーでこんな風に同じ絵を、毎年使い回しをするなんて、初めてみました。その代わりカール・ラーションの小さなのを見つけたので、今年はそれを買ってきました。

ペーターは、一度日本にきたこともあり、日本の文化については、興味を持っています。竹の筒がテーブルの上にあったり、「展」という漢字の書かれたキャンドルスタンドや、「力」と書かれた飾り皿もあったりです。(この意味はなんだ?って聞かれてしまいました。日本人が、かっこいいと思って、英語の意味も分からずに、英語の書かれたTシャツを着ているのと同じ感覚なんでしょうね。ま、それもいいですか。)

昨年に続きこの旅行でも、漢字については、おもしろい経験をしました。ヘルシンキ空港の両替所でトラベラーズチェックに漢字でサインしたら、その後、両替の銀行の人たちはそれを回して眺めていましたっけ。また、ストックホルムのCDの店で、クレジットカードで買い物をしたとき、やはり漢字でサインしたら、レジのおねいさんは、それ見て、うれしそうに微笑みながら、周りの同僚にも見せていましたね。

で、ペーターにその点を聞いたんです。そしたら、スウェーデン人にとって、漢字はすごく魅力的なんだそうです。それなら、もっと何か日本語を残してくればよかったかしら?1月1日は、スウェーデン人たちは休日です。(祝日)部屋の中には、クリスマスツリーがまだ飾られており、部屋ではキャンドルをつけて、迎えてくれました。西洋的ですね。

日本が好きなエミリーとは折り紙の本を送る約束しました。そこで日本に帰って、折り紙の本を探してみると、私が子供の頃に知らなかった簡単な折り方が、たくさん載っていました。折り紙も進歩しているのでしょう。また、選んだ本には、あやとりも一緒に載っていました。あやとりって、スウェーデンにもあるのでしょうか?以前、ラトビアからの合唱団の少女たちをホームステイで受けたとき、彼女らは、私たち以上にあやとりを知っていたのは、驚きでした。

ということで、ずっと、英語で話していて、つかれました。いつも私の英語ってブロウクンででたらめも多いので、結構神経使ってました。でも、ちょっとだけ、勉強中のスウェーデン語もつかったりして、楽しい時間を過ごしました。一般家庭に遊びに行くなんて、滅多にない経験で、大満足でした。

さて、「今度着たら泊まる部屋を用意しておく」って、言ってくれたですが、どうしましょう……。その後、ストックホルムのシンボルの市庁舎まで、送ってもらいました。毎年1月1日、ここで、オルガンコンサートがあります。有名なホールで、無料で音楽が楽しめるので、お勧めです。(ストックホルム市が出している旅行者用ガイドブックにも載っていないと思われます)天井の高い、大きな直方体の石の空間に、パイプオルガンの音が、漂うのを聴くのは、一つの癒しにもなるのではないでしょうか?

(追記:2002年スウェーデンは、サッカーのワールドカップに出場します。で、ペーターの話では、イングランドなどの一番激しいグループに入ってしまったので、みんな残念に思っているらしいです。でも、私的には、がんばってほしいな。)

追記〜さようなら、リンドグレーンさん〜

2002年1月28日リンドグレーンが、なくなられました。94歳でした。数週間の病のあと、ストックホルムの自宅で。その死は、とても安らかだったそうです。

朝、新聞で知ってから、即、インターネットで、スウェーデンの新聞を見てみると、私が見た5、6紙すべてが、彼女の死を第一面のトップで、大きく扱っていました。娯楽のタブロイド紙だけでなく、一般誌、経済紙までもです。児童文学の作者の死が、こんなに大きく取り扱われるなんて、驚くばかりです。日本じゃ、ちょっと考えられないくらいですね。

リンドグレーンは、スウェーデン人たちにとっては、とても有名な方でした。1999年12月31日、20世紀で一番有名なスウェーデン人は?という、あるスウェーデン新聞がスウェーデン人たちに行ったアンケートでは、彼女が第一位でした。アバや、グレタガルボや、ボルグや、ハマショールドなど、世界的にも有名な彼らを押しのけての第一位だったのでした。スウェーデン人に一番知られて、一番愛されていた方でした。

ペーターの言うところ、とても悲しいけれど、94歳だから、十分生きられたのではないか。それに、彼女の本と映画はずっと生き続けている、とのことでした。新聞の意見も同じで、国内では、ノーベル文学賞を!という意見もあるところ。これからも、親から子へと語り継がれていくことでしょうね。お疲れさま、安らかに。

(新明)