
■読者のページ〜2001年10月〜
アイルランドで風に吹かれてみる。 どこからやってきたのか、そんな思いつきが頭の中にすみついたのは2年あまり前のこと。気軽に行くには遠すぎる国だが、行きたいという気持ちが引き寄せるのか、次第に人や情報が集まってきて、この夏、アイルランド行きが実現することになった。
エアリンガス(Aer Lingus)はゲール語で、確か「天空の舟」の意味を持つ言葉である。国の色である緑を基調にした機体に、やはり国の象徴であるシャムロックの葉を尾翼にあしらった優美な飛行機で、機内にはゆったりした空気がながれていた。この旅で搭乗する機会はないと思っていただけに、嬉しい偶然となった。 ヒースローを飛び立って1時間あまり、空飛ぶ舟から見下ろす視界に雲がきれぎれに飛び去り、うす青の海がはるか下の方に波うつのが見えてしばらくすると、全体が緑に包まれたアイルランドの国土が見えてくる。舟は緑の島めがけて吸い込まれていく。 ダブリン空港には午後9時を大きく回って到着し、両替等の手続きを済ませて市内行きのバスに乗った頃には、午後10時近くとなっていた。夏の間日の長い彼の地といえども、さすがに夕闇が迫っている。バスの車窓から見えるダブリンの町並みは、逢魔が時に沈んで古めかしく、まるで時間を遡ったかのように郷愁を誘う佇まいを見せていた。 バスの中には空港で乗り込んだ5、6人の客、それも終点の中央バスステー ションまで乗っていく私たちを残して次々に降りていき、終点に近づく頃には私と連れの二人だけとなった。車窓の外の闇はいよいよ濃い。時刻は夜10時を回り、宿に行き着けなかった場合を思い浮かべた私たちは、バスの運転手に宿の場所を尋ねてみることにした。すると、運転手は事もなげに、「それは終点より少し先に行った道沿いにあるから、このままバスで宿の前に着けてやる。」と言う。思いがけない親切だが、アイルランドの人々にとっては至極当たり前の振る舞いらしい。この先、幾度も彼らの親切を受けることになった。 アイルランド滞在初日の宿は、B&B街にあるジョージ王朝様式のゲストハウスを選んでいた。宿泊手続きを済ませ部屋に辿り着くと、流石にほっとした思いがわきあがる。明日はバスでダブリンを出て、アイルランドの中央部をまっすぐ横切り、西の沿岸にあるゴールウェイに向かう。 翌朝早く、朝日が射し込む白い家具と壁で整えられた宿の食堂で朝食をとり、宿を引き払って、ゴールウェイ行きのバスが出る中央バスステーションへと歩く。朝日を浴びた石造りの街並みは、昨日とは違った表情を見せている。朝の空気はきりりと冷たい。行き着いたバスステーションはすでにアイルランド各地に向かう人々で賑わっていた。 乗車案内を待ってバスに乗り込むと、定刻通りの発車となった。ダブリンの中央部を流れるリフィ川に沿って西に向かい、ダブリンを後にする。ゴールウェイまでは約3時間半の道のりとなる。バスがダブリンを離れるに従って、目にする家の数が減っていく。ところどころにラウンドアバウト(信号のないロータリー式の交差点)があって、バスはくるりと回って目指す道に入っていく。ラウンドアバウトの度に、くるりくるり。いつしか眠気を誘われて寝入っていた。時折目覚めて外を見ると、こじんまりと古い佇まいの街道町を通り過ぎていたり、うす緑の草で覆われた丘陵に、遠く近く牛や羊がのんびりと草をはんでいる姿があったりする。道沿いや土地の境界を示す辺りには、灰色の石積みが細々と果てしなく続く。バスに揺られながら、この国の暮らしや来し方を考えるともなく考える。 途中一度の休憩を経て、ゴールウェイには正午近くに到着した。このあとイニシュモア島に渡るフェリーに乗船するつもりが、フェリー発着場の場所を勘違いしていたため時間に間に合わず、あえなく断念。午後からはゴールウェイ市街を観光することにした。 ゴールウェイはコリブ川河口の近くに位置し、その起源を古代にもつ古い町である。今でも中世の史跡が町中に点在している。観光客で賑やかな通りから少し入ったところにある聖ニコラス教会は、内部にケルト文様の装飾や十字架が残っており、ケルト文化とキリスト教との融合をしのばせていた。
この日の宿には、市街地から少し離れたB&Bを予約してあった。朝食付きの民宿といったところだろうか。アイルランドの多くのB&Bがそうらしいが、人好きのする明るい感じの女将さんが切り盛りしている。案内された部屋は通りに面して窓が大 きくとられ、さっぱりと掃除が行き届いていた。この夜、部屋のテレビからは、ゲーリックフットボールの中継が流れてきた。ラグビーとサッカー、バスケットボールが入り交じったようなスポーツである。アイルランド固有のスポーツで、熱狂的な支持があるらしい。しばらく見ていたが、そのルールは謎のままなのだった。
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