
■読者のページ〜2001年9月〜
私は今インドネシア国、南スラウェシ州マカッサル市に住んでいます。ここには約120人の日本人が生活しており、殆どが単身者ですが、家族同伴の家庭もあり、乳児から中学生までの子どもたちもいます。 学齢期の子どもたちはインターナショナルスクールに通ったり、現地校に通ったりしながら、「日本語補習授業校」で国語・算数の補習授業を受けています。補習校に通うといっても全生徒数は現在10人です。 小1・1人、小2・2人、小3・2人(この学年は国際結婚家庭のため国語ではなく日本語の授業です)、小4・1人、小5・3人、中3・1人と言う構成になっています。ほぼ個人授業のような形ですが、日本の教科書に沿って週に2回授業を行っています。 ここの日本人の子どもたちは簡単に言えばある種の純粋培養で育っていると思います。日本に関する情報は衛星放送のNHKしか見ることができませし、日本から送られてくる本やビデオに頼ることになります。補習校にある本は殆ど読んでしまい、“読む本がない”と言う子どももいます。 本に親しむ環境と言えば、日本の子どもたちよりも恵まれているのかもしれませんが、その本の絶対量が少ないために、情報としてはかなり少なく、日本語の語彙についても乏しくなると感じますし、日本の学校生活を知らない子どもが大半です。NHKが見られるようになったのも最近のことですし、NHKを見ることなく生活している家庭もあります。 これは情報過多の日本の生活から見ると、子どもたちはのんびり・ゆったりと育っているとも言えるのかもしれませんが、日本のように毎日のテレビ番組を楽しむこともできず、日本人の子どもの人数が少ないために気の合った友達を選ぶと言うこともできないのが現状です。 これは発展途上国の一地方で暮らす弊害と言えるかもしれませんが、日常的に日本語による刺激がない代わりに、日本の現状に疎くなってしまうということもあり、また学年差や年齢差に縛られないインターナショナルスクールでの学校生活に慣れたが為に、帰国後に日本の学校教育になじめずに苦労したと言う話もよく耳にします。 日本の生活になじめなくなると言うことは滞在年数が長ければ長いほど顕著に表れると思います。私の娘も小1から中2までここのインターナショナルスクールと補習校で学び、帰国の際には日本語による教育に戻ることができず(小学校から中学までの学校生活用語がすべて英語で入っているため)、英語による教育の道を取らざるを得なくなりました。 そして日本のインターナショナルスクールに通いましたが、日本の学校生活(インターショナルスクールと言えども生徒の大半は海外生活のない日本人の子ども達でした)への適応が難しく、シンガポールで高校を卒業し、現在アメリカで大学生活を続けています。 また、ここでは、多くの家庭で父親が日本のように仕事に追いまくられることがないために(中には出張続きでなかなか家族との時間が取れない家庭もありますが)、休日には親子で海に行ったり(船で15分も沖に出ると珊瑚礁に囲まれたきれいな海があるところです)、家族でプールへ行って楽しむ、映画に行くといった家族で過ごす時間をたっぷりと取ることができるとも思います。 何故海やプールなのか?と言う疑問もあると思いますが、日本のように子ども達だけで安心して遊ぶことのできる公園がありませんし、道路でも遊べません。それほど対日感情は悪くないとは思うものの、いつ何が起きても不思議ではない土地、国ですから、自分達の安全は自分達で守らなければなりません。そのために、子どもの運動不足を解消するには海かプールへ行くしかない、と言うことになります。(ここは毎日が夏の国です) しかし私の見る限り、ここで生活している日本人の子供達は明るく素直に育っていると感じますし、これはご両親のいろいろな配慮や子ども達自身の努力の結果であると思います。
「日本語補習授業校」は「日本人学校」とは違います。 「日本人学校」は日本から校長・教師の派遣があり、殆ど日本と同じような状態で児童達は授業を受けることができますが、マカッサルの「日本語補修授業校」(通称“補習校”は教師の派遣もなく、運営は児童の父母とボランティア講師によって行われています。 日本からは国庫補助金と言う講師への謝礼に使うように送られるお金の金銭的な援助を受けることができていますが、これも児童数によって変化し補助の打ち切りとなることもあります。現に2年程前に突然に児童数の不足を理由に新年度からは補助金の打ち切りを通告され、日本総領事館補習校担当者の方の奔走の結果、打ち切られずにすんだ、ということもありました。 「ウジュンパンダン日本語補習授業校」は1978年10月1日に開校にされ、ここの市名がウジュンパンダンからマカッサルに変更になったことに伴い、今年6月1日より校名が「マカッサル日本語補習授業校」に名称変更されました。 私の娘も1988年から1994年の帰国までここに通い、小学校1年から中学校1年までを過ごしたことになります。それに伴い私も日本ではこんな肩書きが着いたことがない名刺でも作ろうかと思う会計、校長と言う仕事も経験しました。(名刺作っていたら記念になったのに、残念!) 1988年からは娘がお世話になったお礼奉公のつもりで講師を引き受けており、通算10年以上補習校講師をやっていることになります。 児童、生徒数は現在小学校1年生1名、2年生2名、3年生2名、4年生1名、5年生3名、中学校3年生1名の計10名という小さな学校です。 授業内容は国語、算数の2教科を週に1度づつ、1回1.5時間から2時間(学年によって違います)おこなっています。教えるのは前述のように児童の父母または私のようなボランティアのおばさん達です。 しかし、この10名の児童・生徒も来年3月までには帰国が決まっている子ども達が5名いますので、今後補習校としてどうやっていくのかが問題です。形として基本的に自分の子どもは教えないということがあるので(講師謝金の支払い等で問題が出る可能性があるため)、講師をどのように見つけるか?です。 補習校としての問題は現在2つあります。一つは国際結婚家庭の児童に対する授業について、もう一つは講師についてです。
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