■えるふ流読書法〜2004年1月〜

神沢利子の新刊であるエッセイ集『天の橇がゆく』(福音館書店)を読んだ。本を見た時に表紙の宇野亜喜良の絵をみて、非常な抵抗があったので、しばらく手に取る気分にならなかった。本のオビに書かれている文から、彼女の自伝である樺太時代の幼い頃のことが書かれている私の好きな本、『流れのほとり』(福音館書店)の延長上にあるエッセイ集のようなので気になってしかたがない。本を横目で見るたびに“読まなくていいのか!”とささやき声が聞こえる。それがだんだん大きくなって落着かない。なにをオーバーにと言われるかもしれないが、私には時々こういうことがある。

宇野亜喜良の絵は私の知っている神沢利子ではない。3回程少しずつの間隔をおいて話を聞いたその人は、(だから年齢が少しずつ違うわけだけれど)いずれも、こんなどこか不確かな方向を見つめている人ではなかった。樺太のはなしを聞いた時も、『くまの子ウーフ』の話を聞いた時も、なぜフライパンやおなべを物語に登場させたかという話を聞いた時も、時にはどこか遠くを思い出すような様子があっても、彼女の黒い瞳は宙を泳ぐことはなかったし、語られた口元は意識的に結ばれていた。

1924年生まれの神沢利子は私の母の年代の人である。私だけがそう思っていたのかもしれないが、母とは最後までお互いに解りあえることが少なかった。私は母の幼かった頃の話をあまり聞いたことがなかったし、母も話すことがなかった。大きなお寺の長男なのに一所に住んで僧侶として生きていくことを嫌い、そして、早死にしてしまった文学青年だった祖父の話はたびたび聞いたけれど、母の子どもだった頃の話を聞くことはほとんどなかった。7人兄、妹、弟と家族や使用人、お寺を取りまいていた、たくさんの生者と死者のなかで母はどんな育ちかたをしたのか、そして、一人っ子の父のところに嫁いできた母はどんな思いで私を育てたのだろう。

『流れのほとり』には北国のそのまた北の地方の自然が豊かに描きだされている。そのことは文庫版のための『あとがき』〜[“流れのほとり”をさかのぼって]のなかで……今でも折にふれて思うことは、もし、樺太で育っていなかったら、自分の作品はよくもわるくも、まったく異なるものになっていただろうということでした。P470より……と書きしるしている。『流れのほとり』のなかの子どもたちのように、母が育ったまわりにはありのままの自然がたくさんあったにちがいない。湿田一面 に青い小さな稲の苗が風にそよぎ、オニヤンマを捕まえにいったきり家の帰ることを忘れてしまったり、境内の銀杏の大木の回りが黄金色に輝き、雷の音と一緒にあとからあとから降り積もる雪の夜〜これはみんな私の思い出でもある。

『天の橇』のたづなを取っているのは祖父、乗っているのは幼い母と母の一番の仲良しだった兄、そして見上げているのは神沢利子である麻子でなく、私、それは過ぎゆく2003年の12月のはなしである。(文中敬称略)