■えるふ流読書法〜2003年12月〜
壁の向こうには何があるのか。壁とは何だろうか。壁は取り崩せるものだろうか。
『バカの壁』という非常に刺激的な書名にひかれて読んでみた。この著者の書かれたものは単行本だけでなく、ある時は新聞のコラムで、ある時は雑誌で読んではいたが(昆虫の蒐集家でもあるという興味深いこともある)いつもとてもわかりやすく書かれている。専門は解剖学、脳の先生である。いま、ちょっと脳ブームだが、それとは別に私が脳についてというか、直接的には人が言葉を持つということと、脳の関係が気になって本を読んだのは、父が脳硬塞で脳の側頭葉の左、言語をつかさどるところにダメージをうけ失語症になってからだ。
漢字は読み書きができるのに、ひらがな、カタカナがだめになってしまい脳でイメージがつくれないために、言葉をつかうことが不自由になり孤独になっていった父、新聞と辞書と小学生が使うワークブックで学習していた父、言葉が不自由になるということは他の人との関係が取りにくくなるということ、父をとおしてまのあたりにみた。
そして、実際父はとてもわがままで怒りっぽくなっていった。以前の父を知っている子どもにとってそれはとてもつらいことだった。著者は言う、“結局われわれは自分の脳に入ることしか理解できない……”そして、“あるていど歳をとれば人にはわからないことがあると思うのは当然です。そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。P4 ̄P5”
著者のいう“バカの壁”は誰にでもあるのに、たとえば、現実に子どもたちのおかれている学校に代表される教育現場をみても決して“バカの壁”は認められない。“知っている”ということのうさんくささ、また、知りたくないことについてはみずから壁をつくってしまう、知りたくないことは聞こうとはしない。
この本はこのことを脳の入力と出力ということから解りやすく書いてある。ではどうすればよいのか?著者は“人間であればこうだろう”と考えることを勧める。そして、“人間であればこうだろう”という考え方こそ壁の向こうを期待するものだという。
“今後日本がもし拠って立つとすればそういう思想しかない。P202” 子どもたちに本を読んでほしいと思う。この願いは著者流にいうと本を読むことで“バカの壁”を壊す、そして、これも著者流にいうと“壁の向こうには何かがある。なければ壁でなく崖になる。”ということか。
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