■えるふ流読書法〜2002年12月〜

カニグズバーグの作品のうち最初に読んだのが『クローディアの秘密』だった。

彼女の作品の魅力を一口で表すと時代の予知能力といおうか、都会らしいとても斬新な構成に驚く。家出先が美術館、そして、作中クローディアは家出前と家出後の私は変わっていなければならないと、ハッキリと自分の考えを主張する。そんな子どもが私の回りにいるだろうか?いや、私自身そんな子どもであっただろうか?

『トーク・トーク カニグズバーグ作品集』は1968年ニューべリ賞受賞(クローディアの秘密)記念講演から始まつて1997年再度(『ティーパーティの謎』)受賞までの自分の作品をとり上げながら30年にわたっての講演集である。なぜ自分は作家であり作家であろうとするのか、しかも子どもの本を書くということ、そのことがどういう意味をもっているのかということの彼女の考えを述べたものでもある。

まず、カニグズバーグは作家としての自分の責任についてこう述べている。

<子どもたちにちゃんと考えが持てるように言葉を差し出してやることは、子どもの本の作家としての私の責任です。>

<文化は過去に根をはやし、現在に枝葉をひろげています。言語というものはただ単に人々に文化の形を伝えるだけでなく、人々が文化を形づくることに大いに力あるもの……>

そして、書くことという行為の中で彼女自身に何がおこったか、1960年代、1970年代アメリカの子どもの本を取り巻く社会状況、図書館や学校図書館、出版界などを批判している。一方、本物の本、取っておく価値のある本を書き、出版してきた人達にも率直な感謝の意を表明している。

芸術家にとっての自由に真実を見る力はなにかと示してくれた『ジョコンダ夫人の肖像』、幽霊がでてくる『エリコの丘から』、『べーグル・チームの作戦』のなかの母親や『バートとレイ』のなかのウィリアムとその母親、『魔女ジェニファー』や『800番への旅』の章では8才から12才あたりの(桃と宇宙の間を生き抜くとカニグズバーグは表現しているが)小説の書き手である自分の関心の近廻りの人々との関係、孤独でいること、そして空想力について語っている。

それらの上でこの作品集におさめられている最新作『13歳の沈黙』を再度読み返して、12歳の次の13歳の意味するもの、おとなになることの意味などを考えてみた。


一方、彼女の作品は新しい手法で書かれているので新鮮に感ずるのだが、自分の思いが深まつていかないいらだちの様なものを感ずることがある。それはなぜなのか?最後の清水真砂子のカニグズバーグの作品にはほとんど風景が描かれていないとの指摘を読んでハタと思いあたった。

自然は時には私を拒み孤独にするが、時には私をそのまま受け入れてくれる、そんな中から生きる力を引き出されることが多い。それは本を読むと同じ意味をもつものだ。私の13歳とカニグズバーグの13歳はきっと違っていたのだ。無論それは肯定できるものである。

カニグズバーグ作品集別巻 『トーク・トーク』 〜カニグズバーグ講演集〜/岩波書店刊