■えるふ流読書法〜2002年8月〜

大合唱が始まると私の心のどこかが落着かなくなります。

その大合唱は一見元気がでて、頼もしくあり、好ましく思われるのですが、良く聞くと音楽のように調和がとれていません。そして、そのことを覆い隠そうとするように誰かが早口で、歯切れ良く意見を述べています。

すると私は頭が痛くなって、背中がチリチリとして、手足が冷たくなってきます。今はコンピューターと情報、合理性と有効性、そして、国際社会に立ち遅れないように……しなければならない!と。

でも、気に添わなくとも、心にひっかかっても、悲しいかな毎日の生活で精一杯の私は落着かないままに次々と色んなことに飲み込まれていきそうになり時には抵抗を試みてはみるのですが、いつの間にか把握しきれずに、何がなんだか解らないままに流されてしまう自分を発見して、嫌悪感でいっぱいになることが多々あります。

いま、気になっていることが二つあります。一つはいわゆるプライバシシーの問題『個人情報保護法案』や『住民基本台帳ネット』です。

人は色々な繋がりで生きています。そして、その繋がりを有効なものにするように考えるのは当然のことです。けれど、自分自身を他の人から何の了解もなくのぞき見される、自分が気がつかない間に回りの人が色々なことを知っているなどと、考えただけでも嫌なことです。ましてそれを悪用する人がいる、ある意志をもった人が悪用しないと誰が言い切れるでしょう。それが国家だということもありうるのです。

もう一つは最近姦しい“日本語”の問題です。声を出して読む日本語とか、正しい、美しい日本語とか、子ども達の国語力とか、そのこと自体に異論をはさむつもりはありませんが、こう大音響で騒がれるといささかうんざりしてきます。言葉だけがひとり歩きをしていて、言葉のもつ厚みのことがいわれないからです。

人と人との繋がりの希薄さとか、はなし言葉だけの日常が何を意味するとか、国語、私達の場合は“日本語”ですが、国語力となると当然生き方の問題、思考の問題に関わるのではないでしょうか。それがなぜか学力と結びついているのが気にかかります。それに、“日本語”が衰えているということは日本の国が痩せて実体が薄っぺらになっているのではないでしょうか。

今年の夏休みは次の3册を結びつけながら少し自分の考えを整理してみたいと思っています。


『日本の近代思想』 鹿野政直著 岩波新書
『にほん語観察ノ−ト』 井上ひさし著 中央公論社
『日本人の世界地図』 長田弘 高畠通敏 鶴見俊輔 岩波書店