■えるふ流読書法〜2002年7月〜
山を見ない毎日になってからどれくらいになるだろう。
もう20年位山へ出かけることがない。山へ行くといっても私のそれは散策する程度で登山とはいえず、ただ山歩きをするだけである。“ふるさとは遠くにありて思うもの”と詠った詩人がいたが、私にはさしずめ“ふるさとの山は遠くにありて思うもの”である。
私は新潟県でも長野県よりの地方都市で小学校3年生の半ばから高校2年まで過ごした。緑と水辺の多い小さな城下町は近くの町村と合併して少しは大きくなったが、私がいた頃は町並みも狭く、自転車で小一時間も走れば回りきってしまう。
冬には新潟特有の重い雪が積もるので暗く、良く言えば落着いた街なのだが10代の頃はその臭いと閉鎖性がたまらなく嫌だった。けれども山が見えた。高い山々が側までそそりたっているという風景ではなく、空に山が見えたと言った方が良い。海は近くに行かないと見えないが、山は遠くからも仰ぎ見ることができる。空が山に呼びかけるように明るく明けてくると、山々は姿をあらわす。
春、土が柔らかくほっこりする頃は山もほっこりとのんびりとかまえ、セミの音や人の声が賑やかになる頃には山も一緒に遊んで汗をかいたようになり、色とりどりに燃え立つ秋は華やかな中にひっそりと佇まい、冬、一面に雪を頂いた山々は明るく張り切った冷たい空の中にしっかりと立っている。
山は天気さえ良ければどこからでも見えた。一番近くで日常的に眼にしたのは、小川未明が作品「牛女」の舞台とした南葉山、そこへ5年生の時化石採集に行ったのが山へ行った始まりである。それから妙高山、焼山、火打山、そして少し足をのばして雨飾や黒姫山、父が私の体力にあわせて連れていってくれたり、運良く体調が良くて学校で行ったり、それは登山という頂上を目指すものだけでなく単にキャンプしてテントを張って泊まったりしただけのものであったり、高い山に挑むなどということからはほど遠い夏の楽しみの一つだった。山の姿は日常生活の中にあった。
東京で暮らすようになってからも時々奥多摩や神奈川の方へいくこともあったが、体調を崩し喘息の発作をおこすようになって、木曽の御岳山へ友人と行ったのが最後になり、その頃仕事先に行くのに乗っていた中央線の通勤電車の中から富士山を見るだけになってしまった。高円寺あたりから良く見えた。
そして、千葉に越してきてすっかり山を見ることがなくなってしまった。本屋をするようになってお金と時間に追い回され、ますます、山はどんどん私から遠くにいってしまった。やがて、母が病気をし、続けて父との生活のため、一週間おきに山を見る生活が7年間、山々が私の心を支えてくれたように思う。夜明けに山を見て一日命が永らえたのをどんなに感謝したことだろう。
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両親もいなくなり私の山は本の中になってしまった。山の見えない生活は淋しい。都会に馴染めきれず、かといって、もう二度と戻ることがないあの山々の麓の街を想い、山の本を開いたりエッセイを読む、そして、まぁそれでもいいか!と思ってみる。
東京で暮らしはじめてすぐに辻まことの本と出会った。辻まことが伊藤野枝の子どもだ知って読みはじめたのだが、そのことからいつしか離れて彼の文と絵に惹かれていった。ほとんどが山の本、そこに息している人間や諸々の自然や獣、山を忘れられない私にとっては大切な作家の一人である。
『山からの絵本』辻まこと 創文社
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