■えるふ流読書法〜2002年5月〜
今年は花が早かった。
我家の梅にはもう小さな実がかなり顔をのぞかせている。枝や実をきちんと剪定しないものだから、成るままにしておくものだから、小さな実だけれど毎年かなりの数の自然の恵みにあずかることになる。それを丹念に洗って梅干しをつくるのはほとんど家にいない私が出来ることではなく、せいぜい梅酒か梅漬けくらいしか出来ないが、毎年の楽しみな作業のひとつだ。
それらの手仕事は12年程一緒に暮らした祖母からなんとなく教えられたものだ。なんとなくというのは一緒に暮らしていた中で教えられたもので、特に時間をとって教えられたわけではない。嫌いな針仕事はそれこそつきっきりで浴衣を縫わされたことがあったが、嫌いだったからそれきりで全然憶えいない。それにくらべると食べることに関しては私自身幸いなことに好き嫌いがあって必要にせまられて自分で料理することをおぼえた。
それと根が食いしん坊のため、いろいろの事を覚えていったのではないかと思う。母はいわゆる専業主婦だったけれど、社会に出て働いた方が良いような人だったのでこれらの事にあまり興味がなかったのではないかと思う。おまけに生家が大きいお寺だったため、それらのことは他の人がしてくれた中で育っている。
地方の小市民の家に嫁いできて、まず量的になに事も小さく少ないのに驚いたと言う。(父も祖父も一人っ子)家も小さく狭い、だから家の中をいつも整理整頓していなければならない、食べ物についても枝豆ひとつ茹でるにしても大きなお釜いっぱい、大ざるに山盛りという生活だったから“こんなに少なくてはおいしくない”とぼやいていたのを憶えている。そんなわけで、こまごました生活のことは母から教わったというより、12年程の祖母と一緒の暮らしが後の生活の多くの部分の基になっている。
祖父は無口な人だったが初孫の私を彼独特の方法で慈しんでくれた。几帳面でかんの強い祖父が私にしてくれたのはただ無言の行為、耳掃除にはじまって、夕凪の海で泳ぎを教えてくれたり、昔使ったテニスのラケットをだしてきたり、後になって学校嫌いになってしまった私に“ゆうこ、いくか”と一言しか言わなかったが釣りに連れていってくれたりした。(祖父の趣味は川釣り)まるっきり2人ともしゃべらないで釣りをして帰った。私を抱いて昔話をしてくれたりということはほとんどなかった。だからあまり声が記憶に残っていない。
けれど大人になってからいろいろなことがあるたびに、祖父が残してくれたものを思い出す。そのうちで一番大きいことは自分で生活と精神のバランスをとっていくことだ。イライラしてきたり落ち込んだりすると無意識にこまごました料理をしたり、散歩したり、土いじりをしたりする。それでも落着かない時はただボンヤリとして、とりとめのない事を思ったりして時を過ごす。
現代はあまりにもいつも何かしていないと価値がないという思い込みが強すぎる。そして、癒し(私はこの言葉か嫌いだが)は他から得られる物なのだろうか?原ひろ子は著書『子どもの文化人類学』のなかでヘヤー・インディアンの生活をこんな風に書いている。
「ヘヤー・インディアンは[はたらく]ことと[あそぶ]ことと[やすむ]ことをそれぞれ区別
しています。
〜中略〜
そして、[やすむ]ということは、彼自身の守護霊と交信している、つまり彼自身の[内なる声]のようなものに耳をすませている
〜中略〜
ヘヤー・インディアンの生活では[はたらく]こと[あそぶ]こと[やすむ]ことのうち、[やすむ]ことがもっとも大切なこととされているのです。」
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人は確かに一人では生きていかれない。常に他の人との関係の中での存在だ。けれども、人が動物としての生き物である以上自然と切れた存在でいることはできない。
この本の中のハイワサ坊やのようにフクロウやけものたちと言葉をかわすことが必要なのではないかと思う。
『ハイワサの小さかったころ』
ヘンリー・ワズワーズ・ロングフェロー文
エロール・ル・カイン絵/しらいしかずこ訳/ほるぷ出版 |
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