■えるふ流読書法〜2002年4月〜
2002年2月19日一人の児童文学者が亡くなった。名前はヴァージニア・ハミルトン、65歳だった。
ハミルトンの本を初めて読んだ時、文中に流れる民族の誇りと人間の尊厳を作中から感じ、こんな児童文学もあるのかと驚いたことを憶えている。私が子どもの頃、そう、ヤングアダルト(YA)と呼ばれる年令の頃に読む本といえば一気におとなの本しかなかったから、もしその頃ハミルトンの本に出会っていたらどう感じただろう。
一体自分とは何なのだろうと思いながらも、その思いを自分に問いかける水先案内をしてくれる本は無かったように思う。無かったわけではなく探せなかっただけなのかもしれないが。自分の意志に反するように体はおとなになっていく、そのこと自身どうにも掴みきれない不安定さがあり、幼い子ども時代はもう終り、その後には何が待ち構えているかわからないという不安定感、けれども今よりはずっと早く背中を押されておとなになっていった。
自分探し、そんな言葉も良く知らずともかく社会の一員としてどうやって生きていったら良いのかの選択を早くに迫られた。高校進学も職業高校と普通科高校とにハッキリ分かれ、高校に進学しない人も含めて職業高校へ進んだ人はその時点で生き方を決めていった。
一方普通科高校へいった者はその選択が少しのびて、つまり時間の余裕を与えられたが、生活的には18歳で親元を離れるのは極めてあたりまえのことだった。
何になったら良いのだろうかと考えはしたが、一体自分は何なんだろうか、少なくとも中学生時代の私には一度も問われたこともなれれば、自ら問うこともなかったと思う。ただ、中学校を卒業する時に日本名を名のっていたので知らなかったのだが、同級生のS君が日本人でなく朝鮮人だったということを知り、全然私の知らないS君がいた世界があることを知った。
そのことはいつとはなく考えることもなかったが、次に私の前に現れたのは、友人の恋人がいわゆる北朝鮮系の朝鮮人でその中でもエリートとそうでない人達の差別があったということだった。ことさら不思議な事でもないのだが、その後に続いた言葉は驚きだった。“私は彼と結婚しても籍は入れないの。だって生まれてくる子どもがもし男の子だったら徴兵に取られるのよ。”と強い口調の彼女を今でもしっかりも憶えている。
「過去からの声を聞き 何度も語り直すことが私のつとめ」と語っているハミルトンはアメリカ先住民のチェロキ−族の血も引いていて、母方の祖父は逃亡奴隷、つまりアフリカン・アメリカンである。オハイオ州で育ち、奨学金でオハイオ州立大卒業後ニューヨークへ、そして作家を志す。
『わたしは女王を見たのか』『偉大なるM・C』『わたしはアリラ』を読んだ時、その作品に流れる自分らしさと誇り、その気高さと清冽な文に圧倒されそうになった。これらの作品は読み手を選ぶがYAの時いきあっていたら良かったと思った作品だった。
さらにハミルトンは舞台をニューヨークなどの都会に移し、その中に暮らしている貧しい人々を登場させ、『ジュニア・ブラウンの惑星』ではなんとか生き延びていこうとするストリート・チルドレンの共同体=家庭を描き、『雪あらしの町』ではバニラと呼ばれている混血の少女が死んだといわれていた父親と会う話、ホームレスに手を差し延べる人々との共同体が描かれている。
ハミルトンは『ジュニア・ブラウンの惑星』の最後の中で大男の黒人 宿無しの少年バディー・クラークにこんなことを言わせている。(彼は科学的な才能をもっている)
「おれたちはみんないっしょだ」
「たがいのために生きることをまなばなくてはならない。だからいっしょにいるんだ。」(掛川恭子訳/岩波書店)
ハミルトンはこの子ども達のうしろにあるたくさんの人々の血と汗と涙と喜びの歴史を書き続けてきた作家といえよう。
ル=グィン カニグズバ−グ そしてハミルトンと注目していた作家の一人だったので残念でならない。
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