■えるふ流読書法〜2002年2月〜
本との出会いは不思議なものだ。前に何冊か読んだことがあり、その著者の名前にひかれて手にとったのが『たまゆらの道〜正倉院からペルシャへ』志村ふくみ/志村洋子だった。
初めて志村ふくみの『一色一生』を読んだ時、この人のきびしい生き方に裏打ちされた色と織を選んだ豊かな感性にすっかり魅せられてしまった。古くさい閉鎖的な日本の社会に反発して、開放的(そう見えた)な西欧の世界にただ、ただあこがれていた頃、自由の意味も深く考えていなかったように思う。
人が生きるということには毎日笑ったり泣いたり哀しんだりの生活が在り、その生活の中に文化が在るということを思うようになったのは、絵本を本格的に読むようになってからだ。
心にいろいろなイメージがあふれ、そのイメージの中から絵本を読んでみる、言葉がそのイメージを深める働きをする。絵としての表現はわかりやすく伝えやすい。そして、人は色も言葉にかえてきた。けれどもありとあらゆる物の中に人工的な物がおしよせ、その中で毎日が流されていると、人も自然の一部でしかないということを忘れてしまう。
この本を読んでいる最中に小林豊さんの話を聞く機会をもった。小林さんは開口一番に砂漠の話をされた。砂漠の朝日の昇るさま、暗闇の夜、星は瞬かず光ったホ−ル(穴)だということ、乾燥した大地と土、強い太陽と光、話を聞いていても私の頭の中はなかなか話についていけない。砂漠の暗闇も光もよくわからない、私がいままで経験してきたこととはまったくちがう世界のようだ。たとえば砂漠の町ヤドスの「沈黙の塔」こんな記述が在る。
「日ざしの変わる気配に促されて、入口から外を見ると沈黙の塔の二つの丘は燃えるような夕日に照らし出されて、この世ならぬ世界を出現させている。大地を巡って光と風が輪舞し、生命の始まりと終焉を予感させる。」
「土のベ−ジュ色がピンクに染まりやがて紫に色づくと、周囲の大地はオレンジ色の炎をあげて一日の終わりを告げていく。ゆらゆら陽炎とも思えるパノラマが目の前に展開していく。やがて日没、そして突然の闇。青い世界に砂漠の街はすっぽり包まれる。」
その風景の中でくりひろがれる豊かな世界、ペルシャからシルクロ−ドを辿って中国、朝鮮を経て、日本の正倉院、植物染料で染めあげ、手織りの布、乾燥した異国の文化が日本の水と湿りの文化に受け継がれて残っていく、なんと雄大な物語りだろう。
布だけではない、カリグラフィーによる装飾経、日本における装飾経である平家納経そのどちらも聖典を美しくする色彩が紺と金であることなど、この本を読むことで私の貧弱な頭の中にも色が満ち溢れ、イメージが湧いてくる。
そして、アラビアン・ナイトや西遊記の中に私は再び、すこしの間心をおどらせ休むことが出来るのだ。美しいもの、楽しいものに憧れる心、シルクロードはそんなあなたの心の中にある。
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