■えるふ流読書法〜2001年11月〜

今月もまた詩について〜

『魂のみなもとへ』詩と哲学のデュオと名ずけられたこの本は、詩人谷川俊太郎の詩にヘ−ゲル哲学の研究者である長谷川宏が短い文をつけた本である。詩人の詩に啓発されて心を巡らせ、そしてそれを言葉にする、詩を紡ぎ出す人が詩人なら、言葉として体系付ける哲学者も詩人なのかもしれない。

谷川は初めにこう書く。「生まれ落ちたときから、うちには哲学者がいた。だから、哲学者がどういう人間かはよく知っている。身じかで見ていると哲学者も普通の人間と変わらない。〜中略〜哲学者も詩人も、言葉を使って書いたり喋ったりするのが商売だが、哲学者が論理を武器とするのに対して、詩人は論理によってはすくなくとも通常の意味での論理によっては到達出来ないところに行こうとする……」

そして、長谷川は
「わたしと世界。
世界とわたし。
わたしが世界に包まれる。
また、世界とわたしがむきあう。」

むこう側に世界があり、こちら側にわたしがあって、その二つの関係が問題になる……と続けて書きしるす。長谷川は谷川の詩に時には実際的に具体的に短文を付けているのは私塾をひらいて、子ども達に勉強を教えながら研究を続けていること、けれど、その私塾はいわゆる学習塾でなく自然の中でさまざまな行事を楽しむ(長谷川の言葉)合宿をしたり、演劇祭をしたりする塾、また、忘れえぬものとしての全共闘運動の体験があることを語っている。

谷川俊太郎は『ありんこ』という詩で「ありんこ どこへいく  ありんこ なにをさがす ありんこ いつねむる」と唱う。谷川俊太郎の詩の中には子どもが住んでいる。

長谷川はわたしのなかには子どもの心がたっぷりとは残っていないと言う。けれど節のおわりの「たまには ほんをよめ たまには うたうたえ  たまには ゆめをみろ」と唱う。

やさしい子どもの心を同じく持っている哲学者と感ずるのは、決して私だけではないであろう。そして、<魂のみなもとへ>私もまた、彼らと共にたどりついていくことができる、子ども達と一緒に。

『魂のみなもとへ〜詩と哲学のデュオ』谷川俊太郎 長谷川宏 著 近代出版