| ■えるふ流読書法〜2001年3月〜 時は1960年代、中学に入った少女は、17歳のみつおに誘われて旅に出る。みつおは孤児だった。敗戦の後みつおは病気の父親と一緒に東京の墓地で隠れて生活していた。あの夜墓地で不思議な声を聞いた。 男二人と女一人が細い声をだし、血の匂いがひろがっていた。みつおは当時の新聞記事を調べる。シベリアから帰って来たばかりの無職の男とその妻の女、そして画家の男、三人はそんな関係に疲れ果て、墓地で心中したとの記事だった。そして、画家は少女の父親だったという。みつおはそんな記事をもって少女の前に現れる。 少女とみつおはシベリアにむかって旅をすることにする。少女は本名のゆき子でなくモーグリになり、みつおはアケーラに、アケーラとは「ジャングル・ブック」にでてくるオオカミたちのボスでありジャングルの帝王、モーグリはその中に入れてもらつた人間の子どもである。 少女はみつお、否、アケーラに誘拐されたりだまされたのではない。モーグリになりたかった、自分から進んでついていったのだ。 アケーラとモーグリはシベリアへ向かう。ともかく寒いむこうの国へ。買い出しの満員の各駅列車、山形まで行くが雨にあたって熱をだし、反対側の列車に乗って日光へ、そして東京〜大宮〜川越〜八王子〜横浜〜久里浜……二人は列車に乗って旅をするのでなく時間を旅するのだ。 所々挟まれている新聞記事は昭和20年から22年の混乱した中で起きた事件だ。それは事件というより、飢えと病気と狂気がないまぜになった人々の生活、生と死が隣り合わせになつている日常だった。 ジャングルは死んだ後の世界、生まれる前の世界だから、オオカミでなく人間の世界に戻つた時のためにみつおはアケーラからレミになり、ゆき子はモーグリからレミを守る犬カピになることにする。レミとカピは「家なき子」の主人公だ。 やがて、列車のなかで寝ていた二人は保護される。みつおはほんとうは樋口という名前であり、アケーラでもなく、レミでもなく、ましてみつおでもなく、取り調べの後放免される。ゆき子はすぎゆき子で母親に連れられて乗ったタクシーの中からみたものは2000年の新宿、そして響き渡るオオカミの声と裸の男の子と父親の旅する後ろ姿だった。 みつおはゆき子を旅に誘ったオオカミだったのか。否、一緒に旅をした同志だったのか。12歳の私を旅に誘ってくれたのは誰だったのだろう。いま、少女と一緒に旅してくれるものはいるのだろうか。 記憶の中の私の心にかすかにたちあらわれたもの、シラミ退治に頭にかけられたDDTの白い粉のチョークに似た臭い、鏡のない鏡台、“あなたがみんな食べてしまったのよ”と言いはなった母のつりあがった目、抱き上げてくれた教師の大きな硬い手。 津島祐子著『笑いオオカミ』新潮社 |