■えるふ流読書法〜2000年12月〜
今年も最後の月、20世紀最後の12月になりました。新聞などでそんな記事を見ると“そうか!私は20世紀と21世紀にまたがって生きることになるのか”などと思ってみたりします。
不思議です。自分の意志でもなく、気がついたらこの世に生まれていた、ちょっと昔に生まれていれば、私の大好きな『指輪物語』に行き会うこともなかったでしょうし、ちょっと先に生まれれば、それもまた、不確実な事でしょう。確かに、自分の意志で生まれてきた訳でもないのですが、何故かこの時代にここにいます。
私はこれまでの中で3回死に損なっています。つまり3回なんとか生きようという大きな力が働いて(私は無神論者なので、神の力とは思いませんが。)生き返ったという事になります。確かに私を生かそうとしてくれた人々(医者も含めて)の力かも知れませんが、私自身の中に生きていく事のエネルギーが残っていたからだと思います。
『指輪物語』に出会った時は、その危機的状況の中でした。1960〜1970年安保闘争、大学闘争と、そしてベトナム戦争と、国内外の既成の権威が問われていた時で、それに伴っての戦いが繰り広げられていました。自らの戦争責任を問う事もなく、ただ必死になって働いて育ててきた子どもたちが社会にスタートし始めていった時代でした。
彼等はいかに豊になるか、いかにより以上の階層になるか、人間の持っている片面だけを教育され、もう片面の弱さをどう認め合って分かり合い、支え合うことによって生きていくという教育はされないままに大人になっていきました。彼等、それは私たちの世代の事です。私は疲れ果てていました。そんな時『指輪物語』に出会ったのです。
『指輪物語』の中の小さな主人公ビルボもフロドもサムも、いつも「こんなはずではなかった」「今頃お茶でも飲んで」と言いながら居心地の良い自分の巣穴にいることを想い、それでも何かに駆り立てられるように旅をします。
よこしまな思いとしか言い様のない方法で指輪を手に入れ、受け継ぎ、指輪を手放したくないと思いながらも、その指輪をこの世からなくさねばならない、それはホビットのする事だとガンダルフに言われ、また旅に出ます。ああ、こんな生き方もあるのだ、その運命に従っていく事自身が生きることにつながるのだ、まるでそれはありえないお話の世界ではなく、私の前に広げられた生き方の1つの様に思えました。
本を読む事で、幾通りもの人生を送る事が出来る。私にとって、それは幾通りもの生き方ではなく、1つの私自身の生き方なのだと思えるのです。
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