■親子で楽しむ千葉の歴史〜2004年1月〜




江戸時代の宮野木村・12

今日は、小中台村のまとめをします。

古い地図でみた村の形

元禄二年の地図に園生村と小中台村がのっている地図があります。それと、寛文10年の地図には、園生村と小中台村と稲毛村がのっています。そして、小中台村だけの地図も江戸時代のものが1枚みつけることができました(下記地図)。

これは、小中台村絵図〜江戸時代の後期の米倉富治家文書というものです。(千葉市史史料8 口絵3)
小中台村はだれが治めていたか(村長さんはいたのか)

小中台村は、園生村と同じで、旗本山名氏1人が支配していました。旗本とは、江戸時代に将軍家直属の家臣のうち、一万石以下で将軍に謁見する資格をもつ武士のことだそうです。

どんな人が何人ぐらいいた村だったか

安政2年(1855)には、小中台村には55軒の家があり、男の人177人、女の人159人、合計376人の人が住んでいました。馬は全部で14頭いました。

何をして暮らしていたか(産業は?農業?)

水田で稲をつくり、畑で薩摩芋をつくり、山でまきを採ってくらしていました。商業はありませんでした。安政2年の石高は、472石でした。

どんな事件があったか・猪鹿の落とし穴

寛政11年(1799)小中台村の名主庄左衛門そのほか村々の名主たちは、園生村の名主に、一札(いっさつ、いろいろなとりきめ)をいれました。それは、小中台村など6つの村の田畑が猪鹿に荒らされてとても困るので、園生村に落とし穴を掘って狩をすることにしたのです。

穴をほる場所が園生村だったので、その穴のことでけんかやもめ事になったときは、狩に参加した村々みんなで話し合おう、と書いてあります。(千葉市史 史料編8 504ページ)

わかったこと

・お父さんがこどもの頃は、宮野木小がある場所は林と藪で、野ウサギがたくさんいたそうです。

・第二回目で調べた海辺の村々とのあらそいの時も、この落とし穴の時も、村名主たちはこまった時は、園生村の名主に相談したので、園生村の名主が中心ということが分かりました。

村を歩いて見つけたもの〜日永寺〜
このお寺日永寺も、長福寺(犢橋村)、神照寺(犢橋村)、地蔵院(宮野木村)、金蔵院(園生村)とおなじで、真言宗です。

4つの村の、5つのお寺は、すべて真言宗でした。(写真)このお寺は、今までのどのお寺や神社より大きくて、立派な門があります。

(1)弘法大師の像
このお寺にも、犢橋村の長福寺にあったのと同じ、旅姿の弘法大師様の像が立っていました。
(2)古い石塔
門を入ったすぐのところに、古い石塔がたっています。(写真)それには、

安永七年十二月吉日(1778)
と彫ってあります。その塔には、「呪」とか「盗賊」「討」とか「怨念」などと、こわい文字が並んでいます。難しくて読めませんが、そのうち勉強して読めるようになりたいです。
村を歩いて見つけたもの〜熊野神社(浅間神社)〜

稲毛の浅間神社は、とても大きな神社です。私の3歳の七五三は、浅間神社でやりました。この前の11月、私の妹も7歳の七五三をここでやりました。

古い記録では、その浅間神社は、元々小中台村で大同3年(808)に開かれたそうです。その後、いまある稲毛に移ったのだそうです。小中台村の、昔浅間神社があったといわれる場所に行って見ました。そこには、熊野神社という小さな神社がありました。

(1)出羽三山の巡礼の記念碑

ここにも、犢橋村の三社神社や宮野木村の甲大神などにあったのと同じ出羽三山の巡礼の記念碑が4つ立っていました。

(2)手洗い鉢と村人の名前
階段の近くに、石の手洗い鉢がありました(写真)。

造った年は、文政八年九月吉日(1825)です。これに刻まれていた人の名前は、みな苗字つきで、

海宝三良兵ヱ  石橋助右ヱ門  藤野清左ヱ門
海宝良右ヱ門  海宝久右ヱ門  海宝七兵ヱ
米倉傳三左ヱ門 中村三左ヱ門  米倉良左ヱ門  でした。

お父さんは小学校一年生から三年生(昭和43〜45)まで、すぐ近くの園生小学校に通っていたそうです。同級生には何人も海宝という名の子がいたそうです。海宝という名前は、江戸時代からこのあたりにたくさんいたのだと思います。

あと、米倉という名前は、最初に紹介した地図の持ち主「米倉富治家文書」と同じ名前です。熊野神社や日永寺の近くを歩いていると、ほとんどの家が「海宝」「米倉」「中村」「藤野」でした。皆江戸時代からずっと続いている苗字にびっくりしました。

(3)第六天

ここにも、犢橋村の三社神社、園生村の春日神社にあったのと同じ第六天の祠があります。これで三つ目です。立てられた日付は書いてありませんが、隣にあった祠には、

宝暦三年四月吉日 小中台村 (1753)

と彫ってありました。とても小さい神社で、昔ここに浅間神社があったとは思えません。よく探して見ましたが昔の浅間神社について書いた由緒や看板はなにもありませんでした。

第六天とは何か

図書館で調べていて、ぐうぜん第六天について知ることができました。千葉中央図書館で「関東の民俗」という本を見ていたら、埼玉県のある村では次のようなお祭りがあったそうです。

第六天様のおまつりは十月十五日で、40年ぐらいまで行なわれていました。若い衆がおまつりの前日に、おこわでおにぎりをつくっておいたのを、六、七個ずつおはちに入れて、まつりの日にお宮で投げると、そのおにぎりを氏子や子供たちがひろって、家に持って帰って食べる。第六天様とは、天狗のようなものです。
(関東の民俗   埼玉県 日本民俗調査報告集成)

埼玉県の第六天と、私がしらべた村々の第六天が同じものかどうか分かりませんが、私が第六天を見つけたのも、三社神社、甲大神、春日神社、熊野神社で、皆お宮です。たぶん同じ神様だと思います。第六天が天狗とは、とても驚きました。昔の人たちは、神社の神様や、お寺のお地蔵様や仏様以外に、疱瘡神という病気の神様や道祖神という道の神様、そして第六天という天狗まで石に刻んでお祈りしていたのです。

来月は、小中台村にあった熊野神社が移った、稲毛の浅間神社について、いろいろと調べてみようと思います。

(神田まどか)