■親子で楽しむ千葉の歴史〜2003年9月〜
今回から3回にわたって、夏休みにいろいろな方々をお訪ねして、お話をうかがったことを書きます。
1:神照寺(犢橋村)で拾ったものの鑑定
★土器とお茶碗のかけら |
第4回(5月)に、今はもうなくなってしまった犢橋村の神照寺の跡を探した時のことを書きました。そこで拾ったものがずっと気になっていました。そこでは、縄目のついた古そうな土器と、お茶碗のかけらがたくさん拾えたからです。私は、お茶碗は昔の神照寺で使っていた古いもののような気がしました。
だけど、お父さんは、もしかしたらそれは神照寺で使っていたものではないかも知れないといいました。その理由は、古いお茶碗のかけらは、神照寺の跡だけではなくて、近くの犢橋村の他の畑や、畑村(今のさつきが丘)の畑にも落ちているというのです。
そこで、7月13日、お父さんと妹と3人で、畑村の畑に行ってみました。畑では、キャベツなどが育っていて、沢山の農家の方々も忙しそうで、畑には入れません。でも、畑の脇の道端ぞいには、白く光る磁器のかけらがたくさん落ちていました。どれもとても小さくて、2センチから5センチぐらいのかけらですが、2時間ぐらいで、ビニール袋がずっしり重くなるくらいお茶碗のかけらが拾えました。お父さんの言っていたことは本当でした。
それでは、犢橋村の神照寺の跡でみつけたお茶碗も、畑のお茶碗のかけらも、最近のゴミなのでしょうか。どうしても専門の人に見て欲しいと思いました。
江戸時代の近世考古学を専門に研究されている、慶応大学の講師・朽木量(くつき りょう)先生に、ひろったお茶碗のかけらを見ていただけることになりました!
もしかしたら、せっかく見ていただくのに、ただの最近のゴミのかけらだったらどうしようと思いました。でも、先生はそれでもいいのでいつでも来てくださいといってくれました。
7月16日、港区三田の慶応大学の研究棟・文学部民族学考古学研究室に朽木先生をお訪ねしました。研究室のテーブルにひろったお茶碗のかけらを広げます。研究室には他の先生や学生さんがいて、もしかしてただの新しいゴミだったらどうしようとどきどきしました。
途中から、慶応大学文学部民族学考古学研究室助教授の桜井準也先生、研究室の大学院(博士)藤山龍造さんにも、持って行ったお茶碗や土器を見ていただきました。
まず、朽木先生は研究室のホワイトボードを使って、簡単な時代の見分け方を教えてくださいました。
磁器(じき)は、白地に青い色をつけて、ガラスでコートされていますが、江戸時代のものは天然の染料を使っているので、発色が良くなくて、ブルーの色がくすんでいて、ねずみ色がかった青です。明治時代になると、合成の呉須(コバルト)で急にブルーが鮮やかになります。
あと、地の白磁の色も江戸時代のものは、違います。江戸時代のものは、すこしぼんやりしていて、小さい泡の粒が入ったりしているので、すぐにわかるそうです。
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磁器の模様は、江戸時代から明治初めまでは、ほとんど筆の手描きで描かれていたそうです。明治の半ばになると、型紙摺り(かたがみずり)という方法で絵がつけられるようになりました。これは、今のプリントゴッコのようなもので、模様型紙ですって、穴があいたところだけ色をつけるという方法です。
明治後半から大正6〜7年まで、銅板摺り(どうばんずり)がはやって、型紙摺りは消えていきました。これは紙ではなくて銅でできた型で模様をつける方法で、型紙摺りよりも模様の線が細かくなりました。
最初に、神照寺跡で拾ったものを見ていただきました。朽木先生は、大きくお茶碗を五つのグループに分けました。
江戸時代の古いお茶碗です。幕末時代といって徳川幕府の最後のころのものです。先生の説明の通り、色はくすんだ青、模様は手書きです。
どれも皆同じ濃いブルーです。これが、合成コバルトの色なのだと思いました。模様は手書きではなく、型紙からすった模様です。
明治後半から大正時代のものです。型紙刷りよりも、模様は細かくて、色も薄いブルーや緑色などもあります。
これは、磁器に似せて作った陶器で、明治半ばぐらいのものですが、先生はこれを軍隊食器だとおっしゃいました。軍隊で使っていた食器です。
1:江戸時代
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2:型紙摺り(かたがみずり)
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3:銅版摺り(どうばんずり)
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4:硬質陶器(こうしつとうき)
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最後のグループは、ひとつひとつ特徴があるものなので、別々に詳しく説明していただきました。
青くて朝顔を逆さにしたような形ですが、仏様 にあげるご飯を盛る、小さないれものの台の部分のかけらだそうです。
左が拾ったもので、右は壊れていない仏飯器です。(三浦の発掘現場で見つけたものですが、来月紹介します)
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なにか、人形か像の一部のようです。もしかしたら仏像かも知れませんが、そうでないかも知れません。朽木先生は観音様のようだとおっしゃっていました。
これはお酒を入れる徳利だそうです。家で使うものではなくて、酒屋さんでお酒をいれてそのまま売っていたそうです。今のビール瓶のようなもので、店の名前が書かれていたそうです。(右の写真上にマウスを置くとイラストに変わります)
写真上列両側は江戸時代のもので、中央の一点(鉄釉[てつゆう〜錆びた茶色の釉薬]で書かれたもの〜朽木先生注〜)は明治時代のものと教えてくださいました。
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どれも台所でつかう道具です。おろし器は、家にあるのはおろし金で、お母さんは大根やわさびをすったりします。江戸時代は陶器のおろし器だったのです。
時代は不明 だそうですが、古そうです。すり鉢のかけらは17世紀 ごろのものだそうです。
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神照寺の鑑定が終わったので、次に畑村の畑で拾ったかけらを見てもらいました。こっちは量がとても多いです。全部で百個以上のかけらを、ひとつひとつ丁寧に見ていただきました。
すると、神照寺で拾ったのと同じように、江戸時代の染付け、明治から大正にかけての銅版摺りがたくさんありました。江戸時代の高田徳利のかけらもありました。でも、明治の型紙摺りは少ししかありませんでした。
江戸時代の茶碗
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大正時代の銅板摺り(どうばんずり)
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その中でも、いくつか特徴があるものをご説明いただきました。
畑村で拾ったものの中で一番古くて、18世紀 前半のものだそうです。産地は長崎県の波佐見というところです。波佐見では香蘭社をはじめとして、今でも多くの窯業が行われているそうです。 波佐見の特徴は、厚手でにごった感じです。 なぜ厚手なのかというと、粘り気の少ない陶石(カオリン)という石を砕いた粉を使っているから、厚くしているためだそうです。「くらわんか手」とも呼ばれているそうです。
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神様に供えるお酒を入れた徳利です。模様は蛸唐草(たこからくさ)というデザインです。
神社にあるのかと思ったら、普通の家にあって、神棚に供えたそうです。壊れる前はイラストのような形をしていました。(右の写真上にマウスを置くとイラストに変わります)
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次回も、慶応大学の先生にお話を伺ったことの続きです。
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