
■親子で楽しむ千葉の歴史〜2003年4月〜
みなさんこんにちは。 今日は、前回に続いて村を歩いて見ます。今回は巡礼の記念碑と弘法大師様についてまとめてみました。
昔の村人たちは、遠くの神社やお寺まで巡礼(お参り)しました。そのお参りを記念して立てられたたくさんの石碑が、今回歩いた江戸の村の、いろいろな神社やお寺に残っています。その記念碑があったところと、あった記念碑は次の表の通りです。
今月号を作る前に長福寺を訪ねてお話を伺おうと思い、訪ねてみたらお寺の方が「長福寺の沿革」という長福寺の歴史などについて書いてある本をくださいました。本の中には次のようなことが書いてありました。 〜長福寺からもらった本の内容〜 正確な記録については保存された文献はないが、西暦1580年、今から約400年前の桃山時代にすでに現存して居たということは、古い過去帳墓石などで散見されて居るのであります。その後幾多の変遷を経て、現存の本堂は無住職のため、明治の初め頃犢橋村小学校の校舎として代用され、60年後の昭和2年頃まで小学校教育の場として犢橋村民の教育の中心であった。住職としては、現住職が26世となっておるのであります。
お参りの記念碑は神社だけではなく、お寺にもあります。犢橋村の長福寺、園生村の金蔵院、そして小中台村のなど、江戸時代の古いお寺に入ると、門のすぐそばに笠をかぶった旅姿のお坊さんの石像が立っていました。 このお坊さんは弘法大師様(空海)で、平安時代に遣唐使として中国に渡り日本に密教を伝えた人で、高野山(真言宗)をひらきました。空海は旅と巡礼を続けたお坊さんとしても有名です。長福寺、金蔵院、日永寺、そして宮野木村の地蔵院はみんな真言宗のお寺です。江戸時代の頃この近くでは真言宗が盛んだったのでしょうか。
長福寺には、江戸時代の古いお墓がたくさん残っていますが、そのたくさんのお墓の中で少し変わった像がいくつかありました(写
真全14枚)。
字が読めるのはこの12個だけで、後の2つは字が消えていて読めません。
三社神社に立っていた記念碑は、昔の人が伊勢や秩父や東北に、何度も巡礼に行った記念です。でも、四国に行ったという記念碑は一つもありませんでした。きっと、お参りを大切にする昔の人も、四国はとても遠くお寺の数も多く、お金もかかったので、普通
の人はお参りできなかったのだと思います。
その代わりに、四国にあるお寺の名を八十八個刻んで、これを拝んでお参りしたのだと思います。どれも相当古いものらしく傷んでいます。立てた年月はありませんが、立てた人の名前がひとつずつ
と刻んであります。多分このお寺ができた頃、江戸時代の初め頃に88個作られて、きちんと順番にきれいに並んでいたのだと思います。
の像は、7月に最初に見たときはなんでもありませんでしたが、写真を撮りに行った8月29日には、像が二つに砕けて、胸から上が地面に落ちていました。台風で壊れてしまったのかも知れません。こうしてだんだん少なくなって、今は14個しかないのだと思いました。
|