■親子で楽しむ千葉の歴史〜2003年2月〜



江戸時代の宮野木村・1

はじめまして、神田まどかです。私は小学5年生です。

今、私が通っている宮野木小学校のまわりは大きく変わろうとしています。学校の周囲にあった山や谷はブルドーザーで埋められて、その谷の向こうにあった林の木々は切られてしまいました。その後は住宅地になります。その新しい住宅地に引っ越してきて、宮野木小学校に入ってくる子どもたちは、この辺が前は林や谷だったことは知りません。

しかし、11歳の私もこのあたりの昔についてよく知りません。お父さんに聞くと埋められた谷は、10年ほど前までは水田で青い稲が育ち、夏の夜は蛙の声が聞こえてきたそうです。宮野木小学校の建っている土地も、半分くらいは水田を埋めてできた土地で、あとの半分は葛に覆われた繁みでした。この辺は今よりも、もっともっと林や、田んぼや、畑が多いところだったのです。

私はその頃の宮野木村を想像しました。そして、この前授業の町探検で甲神社と地蔵院というお寺に行きました。それでこの宮野木村が江戸時代からあった古い村だということを知りました。私は江戸時代の宮野木村を想像しました。そして、その頃の宮野木村はどのような村で、どのような人たちがどんな暮らしをしていたのか、知りたくなりました。これが私の『江戸時代の宮野木村』を自由研究に選んだ理由です。

昔の村を地図で探す

宮野木小とそのまわりの1650〜1750番地あたりの地域は、昭和30〜40年代にできたそうです。このような新しい町は、ブルドーザーで土地を平らにしてから作るので、道路も縦横にまっすぐ整っています。反対に古くからある町は、昔はブルドーザーがないので自然の地形に沿って道や家が作られることから、道は曲がっていて、地形は坂道が多く、家の間には畑も入り込み、またお寺や神社もあります。

次に図書館でこの辺の古い地図を探しました。明治15年(1882)、今から120年前の地図には、4つの村が載っていました。それぞれの村の名前は北の方から。


★犢橋村
★宮野木村
★園生村
★小仲台村

江戸時代の地図を1枚見つけました。その場所には園生村と宮野木村の場所が書いてありました。江戸時代からある昔の村の場所を、今の地図で知ることができました。今の地図と江戸時代の地図とを比べてみました。江戸時代の地図を北を上にして大きさも同じくらいにしてコピーして、村の部分を黄色く、谷津の部分を青く塗りました。すると、村の位置はほとんど2つの地図で同じ場所です。

次に、今の地図と江戸時代の地図の谷津(谷・低い場所の部分)を青く塗ってみて、両方を比べると、江戸時代の地図の谷津の形、特に園生村の東に広がる谷津の形と位置は、今の地図の低地の形と位置と驚くほど同じ形をしています。

最初見たときはいい加減に作られた地図のように見えましたが、あんまり正確なので驚きました。江戸時代の人はどのようにしてこんなに正しい地図が作れたのか不思議です。

更に、今の地図の上に昔村があった場所を黄色で塗ってみました。次に谷津(低い湿地、田んぼ)の場所を青で塗りました。これが下の地図です。それを江戸時代の地図と比べてみると、谷津の形や村の場所が今の地図ときれいに重なります。


調べ方・図書館で調べた後、昔の村に行ってみる

地図で昔の村の場所が分かったので、その場所に出かけてみることにしました。行く前に図書館で借りた本でそれぞれの村がどんな村だったか調べていくことにしました。調べたことは

 1:その村は誰が治めていたか
 2:どんな人が何人ぐらいいて、何をして暮らしていたか
 3:どんな出来事があったか

などです。調べた後に村を歩きました。村を歩いてみれば、調べたことに関係するものが見つかるかもしれません。昔の村を探すために、お寺や神社があれば必ず行くことにしました。その理由はお寺や神社には古い建物や石でできたものが残っているからです。普通の家はどんどんなくなりますが、お寺は住む人が変わっても建物は変わりません。京都や奈良には千年以上も昔のものがお寺にたくさん残っていて驚きました。お寺や神社はタイムマシーンのような所だから、村々のお寺にも行くことにしました。そうすれば調べた古いものを見つけることができるかもしれません。

せっかく地図で調べたので、宮野木村以外の園生村、犢橋村、小仲台村にも行ってみることにします。今月はこれで終わりにします。来月からは各村で見つけたものを紹介します。不思議なものがたくさん見つかりました。楽しみにしていてください。

神田まどか