■親子で楽しむ千葉の歴史〜2002年6月〜





千葉市稲毛区宮野木町

江戸時代宮野木(みやのぎ)村と呼ばれていました。
豊臣秀吉が死亡したあと、勢力を強めた徳川家康が豊臣氏を完全に押さえ込むため、慶長19年(1614)と20年に戦争をしました。これを大阪の陣といいます。高品町の山本さんの家に残っている古い書き物には村について次のように書かれています。

「中山勘解由という武士が、大阪夏の陣の戦争で活躍して手柄を立てたので、ご褒美として千葉郡の高品村と宮の木村を徳川家康から頂きました。」ですから、この時から、宮野木村の政治は中山氏が動かすことになったわけです。

でも、元禄13年(1700)頃には、旗本中山氏と赤松氏2人の支配となっています。村の28%(30石4.5トン )を中山氏が支配し、赤松氏が72%(77石11.5トン)を支配したのです。これは明治になるまで変わりませんでした。

慶長19年に船橋から東金への新しい道・お成街道が造られた時には、約55m分を分担しました。

畑作物としてさつま芋がたくさん作られていて、文化以前は、売りたい人と買いたい人がどこででも取り引きしていました。ところがその後、馬加村の役人と芋商人136人が勝手に方法を変えたため、芋の値段が安くなって農民は困ってしまいました 。そこで、宮野木村を含む山方の24の村は団結して、これでは困りますとお役人に訴えたのです。

天保11年(1840)24か村の主張が認められ従来通りの方法になりました。24か村とは、宮野木村の他は、検見川、天戸、黒砂、久々田、柏井、横戸、勝田、殿台、花嶋、こて橋、長沼新田、薗生、小中台、稲毛、作草部 、萩台、東寺山、西寺山、高品、長作、畑、鷺沼、谷津村でした。近隣のどこの村でもさつま芋が作られていた様子が分かりますね。

嘉永3年(1850)には、外国から攻められたときの準備として、江戸湾・つまり今の東京湾に面 した村を、役人が見て回りました。その時村は人足56人、馬9疋を負担しました。

お寺は真言宗豊山派の地蔵院があり、大聖寺の末寺です。本尊は延命地蔵菩薩です。石で造られている物には、造られた年月や誰が造ったのかが彫ってありますので記録しておきます。

「安永五天次□二月下旬 施主 飯田又右衛門」(1766年)
手洗水石・神様にお参りする前に手を洗ったりして身を清めるための水を入れておくもの「天明元丑年十一月吉日 犢橋村 米之内 鶴田藤左衛門  廣尾 金子勇 若者中」(1781年)

字東海道には甲大神があります。祭神は火産霊命です。他に大穴貴己命、菅原道真、龍神、稲倉魂命、猿田彦命、大山祇命、月讀命などが祀られています。石の小さなほこらで、子安神社、天神社、水神、稲荷大神、道祖神、三山大神、愛宕大神などがあります。


★「寛文十庚戌年十月十九日[  ]」(1670年)
★観音様には、何でもお願いします「如意輪観音 元禄五申天十月十日 施主 四十九人」(1692年)
★村の34人が生きている今も、死んであの世に行ってからも安楽に暮らせるように祈った石「奉修十九夜念仏結安三拾四人 宮木村 宝永四年亥□月命日 二世安楽」(1707年)
★「延享元年」(1744年)
★荷物の安全な輸送や、馬の健康を祈って建てられる石「馬頭観世音 宝暦八戊寅二月吉祥日 若者中」(1758年)
★雨乞いなど水に関して祈る石「水神寛政九巳四月吉日」(1797年)
★「大六天 享和二戌年九月吉日」(1802年)
★東北地方の山まで信仰のため団体で歩いて行った記念碑・出羽三碑「湯殿山 月山 羽黒山 文化元子十一月吉日」(1804年)
★疱瘡という死亡率の高い病気が発生しないように、かかったときには早くよくなるように祈った石・「疱瘡神 文化己巳 八月吉日 宮野木村中」(1809年)村に悪い病気が入ってこないように、又旅に出る人は、道中の安全を祈る「道祖神文化五戊辰歳二月吉日」(1822年)
★「御神燈 能勢三左衛門 文政十一子年六月」(1828年)
★商売、米の実りがうまくいくように祈る石「稲荷大明神 文政十二丑年九月吉日」(1829年)
★手洗水石・「嘉永三[  ]十一月吉日 願主清宮重右衛門」(1850年)
★「小御岳石尊大神 大天狗 小天狗 萬延元年庚申四月初申 宮ノ木先達世話人 庄右衛門 与兵衛 又右衛門 伝右衛門他16名(名略)講中」(1860年)
★安産や、子供が丈夫で育つように祈る・子安大明神
★「石尊大神」
愛宕神社には、
★手洗水石「願主清宮重右衛門 嘉永三戌歳十二月吉日」(1850年)があります。

宮野木、甲神社(かぶとじんじゃ)にある水神様の石宮です。寛政9年(1797)に造られています。

昔の農業は雨水が頼りでした。田植えの頃には豊かな雨の量を願い、暑い夏には日照りで作物が枯れないように、稲刈りの頃には大水で稲が腐らないように、と水を司る神様に祈り、大切にしました。

〜子どもからのお便り〜

お元気ですか?
「宮野木町の歴史」ありがとうございます。これに出てきた「じぞう院」に行ったことがあります。そのことがわかってうれしいです。(かぶと神社も)

宮野木村は中山氏と赤松氏が支配していたんですね。初めて知りました。宮野木村はさつま芋がさかんだったんですね。

むずかしい意味のところは特にありません。あとむずかしい漢字も習ってないのはあるけど、ほとんど読めます。それに宮野木村の昔のことがとてもよく分かりました。ありがとうございました。

P.S. 四年生の時の先生(四年生の時、じぞう院・かぶと神社に行ったとき教えてもらった) 馬頭観音がある神社に伝わる伝説、徳川家康と家光が大事にしていた馬が旅行中に死んでしまって、そこの馬頭観音のある神社にお墓を作ったという言い伝えがあるそうです。ぜひ参考にしてください。

(神田まどか)