■読者のページ〜2004年7月〜
お返事ありがとうございました。正直、HP全部見ていなかったので、いま、読みました。
今日、娘が学校から帰るなり「つまらない、今年の読書感想文は夏休みの前に提出するんだって!それもみんな決まった同じ本を読まなきゃならないんだって!」
いま、HPで昼間のこの言葉がストンと腑に落ちました。昨年の労作『アンネの日記』以来、次回はあまりこれに引けを取るような本は選べないし、さりとて、元来本は読んでもらう方が好きな娘にとっては、この夏の本選びは、悩ましいものであったとしても、またまたelfでじっくり悩んでどんなものを選び取ってくるか、本人も親もちょっと楽しみであっただけに……。
夏の感想文のためだけに本を読むわけでは決してないけれど、文章を書くことも好きな娘にとって(実際毎年、千葉市の文集の候補にはなる人なので。載ったこともある)感想文は、自分の読書の一部であり、何よりも彼女の外に開かれた読書態度、ひいては生活態度の現れであり、自己表現の一部であるわけで、それを外側から固められるのはかなりの苦痛なのでは?と今感じました。
このところ、本にしろ、漫画にしろ、アニメにしろ、メディアというものが諸刃の刃であることを、毎日のようにいやというほど考えさせられています。もう、子どもがインターネットで調べ学習しているなんてすごい!なんていう時代は過去の過去なんだなぁと思うし、親がちゃんとその辺を把握して、意識しているのだろうかと疑問に思う。子どもはすぐにネットで調べたがるけれど、出来るだけ図書館、辞書につきあってからとか、心がけては来たけれど……。
大体、大人たちのネット上(広くはメディア上)のことを鵜呑みにしてしまう神経が知れない。いくらだって悪意の穴が開いてしまうくらいの付き合い方をしなければならないくらい、日常のワイドショー見たって、ニュース見たって、分かりそうなものなのに。
長崎の女の子みたいな予備軍は、すでに私たちの中学時代からいて(思えばもう30年近く前だ!)すごく危うい気がしていたけれど、昔はまだ何かの歯止めがあったのかもしれない。気が付かなかったけれど。やはり、大人がしっかり育つことが(大人だって日々成長を続けていけるものだと思う)、世界的にも課題なんじゃないだろうか。そのためのメディアを、しっかり鍛え上げていける環境が必要。読書はそういう場所でこそ役立っていくものなのじゃないかと思う。
昔、子どもの頃は、お手伝いを怠けたくて本を読んでたり、「本ばっかり読んでると家のことが出来ないわよ!」と母に言われたっけ。叔母は反対に「神経質に掃除ばっかりしてたら、本も読む時間内じゃない!てきとーでいいのよ掃除は!!」どちらも正しい!!!!!ですよね?
何だか身辺忙しく、伺える時間が出来るか……。でもまた絶対に近いうちに行きます!(今度はいらしゃるのを確かめてからですね?)
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