■読者のページ〜2001年5月〜
先回、数年前のロンドン旅行の際に、フィリパ・ピアスさんをお訪ねしたことを書かせていただいた。その中で、ピアスさんにいただいた原稿のコピーのことにふれたのだが、それは初めての本「ハヤ号セイ川をいく」を書かれたいきさつについて、質問をしたことの返事としていただいたものであった。
その場で読み確認をすればよかったのであるが、私は勝手に、その原稿を講演会用の原稿であると思い込んでいた。とても恥ずかしいことではあるが、今回、改めて原稿を読み、1988年版のあとがきであることがわかった。ひょっとすると、どこかですでに読んだことのある方もいると思うのだが、友人に訳してもらったので、ここでその一部を紹介したいと思う。
もう30年も昔のことです。暑い夏のほとんどを、私は病院のベッドですごしていました。
入院するほどの病状ではあったのですが、気分はいっこうに悪くなかったので、私はひどく退屈していました。本もあり、見舞い客もありましたが、外に出て、日にあたったり風にふかれたりして、夏を楽しみたくてたまらなかったのです。
病院は、私の生まれ故郷の村や、私がきょうだいたちと子ども時代を過ごした家から、ほんの5マイルほどのところにありました。父は小麦の製粉と販売をやっていたので、私たちは、製粉所のとなりの製粉小屋に住んでいました。製粉所は、一部の動力を水力でまかなっており、ケム川(ケンブリッジのずっと上流なので、小さな川でした)が製粉所の下を通
り、製粉小屋の庭の脇をまわって流れていました。
ベッドに横になったまま、私は、庭の脇を流れる川のことを、懐かしく思い出していました。水のひんやりとした冷たさ、泳いだり、釣りをしたり、ボートを浮かべたりしたこと。はじめ、私たちは父が子どものころに持っていた古いカヌーを使っていました。(父の父、つまり私たちの祖父も、粉屋だったのです)。このカヌーが寿命をむかえると、きょうだいでお金を出し合って、自分たちのカヌーを買いました。庭仕事が好きだった兄が、庭から川へ降りる小さな船着場を作りました。庭に撒く水を汲むためですが、同時にここは、カヌーの船着場で、夏のあいだずっと、カヌーが、柱の一本につながれていました。
私は、病院のベッドに横になり、川や、柱に繋がれたまま静かに揺れているカヌーのことを、考えました。考えて、考えて、望んで、望んで……。突然、私は、カヌーに乗ろう、と思い立ちました。
目を閉じて、自分が製粉小屋の、庭に面した戸口に立っているところを空想します。慌てずに、経験したことの細部まで思い起こすのが肝心です、でないと、本当らしく見えなくなってしまいますから。そこで、私は戸口に立って、日差しの温かさを感じ、足の裏に、磨り減った石のくぼみを感じていました。磨り減っているのは、戸口が、石としては柔らかい砂岩でできていたからです。
さあ、租は、戸口から、砂利の小道へと踏み出します……ザク、ザク、ピンクの薔薇がもつれてからむアーチをくぐり、左手にある大きなツゲのしげみと右手の古い鳥小屋のあいだを、影のなかへ。もう地面
は砂利でなく、川の水のせいでぐちょぐちょした感触です。 川に近づいているのです。
ちいさな船着場にたどりつくと、木戸越しに、川とカヌーが租を待っているのが見えます。あとは木戸を開けさえすれば……。
それでも、興奮のあまりに、急いだりしてはいけません。でないと、本当のことのようではなくなってしまいますから。そこで私は、木戸の留め金を上げて、開き、船着場の湿ったレンガに足を乗せます。体をかがめてカヌーのもやい綱をほどきます……。本当は綱ではなく、製粉所で粉の袋を結ぶのに使う荒い撚りひもですが。ひもは、水で湿って、柱にこすられて毛羽立っています。結び目をほどき、カヌーを船着場へ引き寄せます。中には、背もたれの板と櫂一それも、不注意で一本流して手の届かないところにいってしまった
ときのために二本一が入っています。
私は、用心深くカヌーに乗り込み(揺らさずに上手く乗るコツがあるのです)、背もたれを調節し、櫂を手にします。楽しい船旅の始まりです……。
この間、ずっと、私は病院のベッドに横になり、目を閉じていたのでした。きっと、この特別
な経験があったからこそ、私は、空想力のもつ素晴らしい可能性に、生まれてはじめて気がついたのだと思います。
のちに、退院して家で快復期間を過ごしていたとき、この川の空想を用いて、長編物語を書こうと思いつきました。それまで一度もやったことはなかったのですが。私は、夏の川でカヌーにのって出来る楽しいこと……私たちが経験したようなこと……について、お話を書きたいと考えたのです。でも、それがお話になるでしょうか?
いいえ、駄目です。筋書き(プロット)がなくては。プロットには、あまりこだわりませんでした。うまくつじつまがあってさえいればよかったのです。(『ハヤ号』は)決してオリジナリティのある話ではありません。古い家が、売却されそうなはめになる、失われた宝物とその探索、悪者が、先に宝物を手に入れようと奔走する、家族の類似、さまざまな手掛かり。(手掛かりは、私も楽しめました)。
プロットはいいとして、川とカヌーのもたらす喜びこそが大切なもの一真実でした。また、物語のなかに、自分たちの暮らした村の生活のディテールももたくさん盛り込みま
した。たとえば、バスの運行などがそうです。苗字は、村のありふれた名前を使いました。それから、自分の家族の名前も、どうにかこうにか、全部入れました。身内の冗談ですけれど。
タイプは打てるので、一章できあがるごとに、順番に、全編をタイプしました。時間がかかり、とても良い話だと思える時もあり、絶望的だと思う時もありました。自信はありませんでしたが、打ち終わった原稿を、(万が一のために返信用の切手も同封して)、出版社に送りました。
しばらくすると、小包が送られてきました。中には、私の原稿と、編集者からの手紙一感謝するが、出版する意図はない旨を記したもの−が入っていました。急に、私は怒りでかっとしました。自分の子どもを一とくに頭脳明晰とか容姿端麗でなくとも、私の子どもを一つかまえて、誰かが、失礼なことを言ったときの母親のような気分でした。気分を落ち着けると、原稿を別
の出版社に、今度も返信用切手同封で送りました。
時が過ぎ、小包は送られて来ず、かわりに手紙がきました。その手紙の書き出しを、私は決して決して忘れはしないでしょう。「我々は、『ハヤ号セイ川をいく』に非常な感銘を受け、是非とも出版いたしたいと思っております。」
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ところどころに、丁寧に訂正を入れたピアスさんのタイプ原稿を見ていると、ピアスさんのお人柄が感じられる。
改めてこのあとがきを読んで、ここに描かれた製粉所こそ私が訪れた「トムの庭」にほかならないことに気付く。屋敷と庭のぐるりを流れる、ちいさな川を指さしながら、水車小屋と製粉所について話してくださったピアスさんが思い出される。ピアスさんの豊かな子ども時代の鮮明な記憶が、これらの物語を書かせたに違いないとも思う。
さて、ピアスさんといっしょに、川とカヌーを楽しむために、もう一度「ハヤ号セイ川をいく」を読んで見ようと思う。
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