■若い人からのお便り〜2004年9月〜
夏休みも終わります。
私がこの原稿を書いているのは、8月の終わりです。そろそろ休みにも飽きてきて始業式が待ちどうしい!って感じです。
ところで、夏休みの宿題の定番で読書感想文と言う物があります。わたしはこれがそんなに苦手では無いのですがあんまり好きではありません。まず「本を読んで感想を書きなさい。」と言われていると読んでいる間に早く読み終わらないと感想文が書けない、と思う所がキライです。本を読んでいる間は現実にあった事をちょっとの間忘れて本の中に入り込んでしまわばければ感想なんか書けません。急いで書いてある事だけ頭に入れても、書けるのは、「文字が多くて疲れた。」とか「長く、苦しい読書でした。最後まで読めた事に達成感を感じています。」とかではないでしょうか。
もし、今書いたような事にならずにしっかり感じたものが有ったとしても、しんみり一人で考えて余韻に浸りたいラストの時もイヤになります。その感じたものは人に是非伝えたい物ではなく、自分の心にいつまでもしまっておきたい物であることが多いからです。紙に書いてみんなに見せるにはちょっと照れる〜と思う物だからです 。
私は今年「黄金の羅針盤」と言う本で感想文を書きました。この話は12歳の女の子が主人公の冒険の話だったのでドキドキしたのを忘れないうちに、映画を見た後友達とお喋りしている感じで書いてしまいました。こういう感じならば、問題なくすらすら書けてしまうけど、やっぱり書きにくい時もあります。宿題を「夏休み中に好きな本を○冊読んでみましょう」に変えてしまいたいと思いました(笑)
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カンボジアで熱い夏を過ごしてきました。
夏休みも終わりです。皆さん元気ですか。ぼくは2度目のカンボジアに行って来ました。
その話を皆さんに聞いてもらいたいと思います。
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日にち
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9月19日(日)
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時 間
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13:00〜
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場 所
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こどもの本の広場 会留府
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定 員
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入るだけ |
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料 金
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無料ですが、5円玉
を持ってきてください。(いくつでも) |
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連絡先
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お申し込みは
TEL/043-227-9192 FAX/043-227-9193
E-mail/hobbit@elf-book.com
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五十嵐敬也です。今年の夏はカンボジアで熱い夏を過ごしてきました。今月はまず
出発まで、 来月は現地での様子をお伝えします。
★カンボジアの臭いがする…… |
ぼくの記憶にリンクした、最初の五感は"嗅覚"だった。露店の食べ物の残骸が発酵するすっぱいニオイ、道路の砂のほこりっぽいニオイ、町を走るバイクの排気ガスのニオイ……無数のニオイが渦を巻いて、ねじりあいながら1つの確かなニオイを形成していた。その刺激臭は鼻腔を通
して、ぼくの脳細胞を刺した。ぼくはカンボジアに来たことを認識した。
ぼくが、所属させてもらっている団体は、名を「国境なき子どもたち」と言い、現在はアジア地域の若者の自立支援を中心に活動している。カンボジア・ベトナム・フィリピンの3ヶ国に「若者の家」という施設を持ち、現地の若者がそこで勉強をし、未来へと備えている。2002年の春、ぼくはこの団体の「子どもレポーター」というプロジェクトに参加し、カンボジアとタイに赴いた。この「子どもレポーター」というプロジェクトは、外国の青少年と日本の青少年の交流を試みるというもので、根暗ないじめられっこのぼくは、ここのプロジェクトで華麗な変貌を遂げた。桁違いの衝撃と、環境がぼくを変えた。ぼくが、「考える」ということを始めたのは、たぶんこの時からだ。ひとつの経験から、いろんな出来事がぼくの周りに巻き起こり、ぼくは自分の人生が新しい方向に向かっていくのを、愉しみながら、見ていた。その内にいじめっ子共はぼくに近寄らなくなった。だからぼくはとても感謝している。新たな道を示してくれた「国境なき子どもたち」に。
2度目のカンボジア行きの話が飛び込んできたのは、2004年度の「総会」の時だった。2002年の時小学5年生だったぼくは、中学2年生になっていた。ロビーのガラスドアの外でだったと思う。ぼくは確か、数時間前食べたサンドウィッチに入っていた具について、ぼんやりと考えていた。そこに香菜さんが来たんだと思う。香菜さんは2002年の時、一緒に旅行した人で当時は中学1年生だった。本名は四方香菜(シカタカナ)、京都在住の高校1年生。今ではぼくの人生になくてはならない人のひとりだ。香菜さんの話はこうだった。
「あのね、ヒロヤくん。前にもう一回カンボジアに行きたいねっていう話があったでしょ?そのことを今日、金さんにいったら、『がんばってみたら』って。だから浩之(ひろし)君とヒロヤくんと私の3人で行けたらなぁって思うんだけど」今まで、自分の世界で、想像の海に浸っていたぼくは、とっさに飛び込んできた事実を、一瞬受け入れることができなかった。それが、あまりにも突然のことだったからだ。一瞬の後、ぼくは自分が二度目のカンボジア行きを強く願っていたことを"思い出し"、ぼくは香菜さんの話にOKした。こうしてぼくはまた思いがけぬ
ところから、別ルートの人生に引っ張られていったのだった。
金さんというのは、2002年の時に同行して下さった「国境なき子どもたち」のスタッフの方で、本名は金珠理(キムジュリ)という。現在は「国境なき子どもたち」の事務局長をしており、皆のよきお姉さまだ。いつも清く正しく美しく、人生において大切なことをいろいろぼくたちに教えて下さる。「浩之くん」というのはレポーターの先輩で、本名は三宅浩之(ミヤケヒロシ)名古屋在住の高校2年生だ。5年前にカンボジアを訪れていて、ぼくたちがレポーターに決まった時に、先輩としていろいろ教えてくれた人だ。「子どもレポーター」は1995年に始まり、応募対象年齢も11歳から16歳と広いため、歳を重ねる度に後輩が次々と増える。もちろん年下のレポーターが選ばれるとは限らない。2年たった今でも一番年下でしかも、一番身長も低いのがぼくの密かな悩みである。そこには部活などにある、先輩・後輩の関係など微塵もなく、むしろ同志といってもいい。しかし、年上の人が自分より多くの経験を積んでいるということも、全員が理解しているので、年上の人を立てるのは、暗黙のルールだ。
2度目のカンボジア行きが思いがけない形で決まり、少しずつ準備が始まった。2度目のカンボジア行きは、行くメンバーも違うし、目的も違うし、メンバーの"感じ"も2年前とは変わっていた。香菜さんは、その美しさに、さらなる磨きをかけてらっしゃったし、三宅さんは、難しい本を読むようになったみたいだし、ぼくと言えば、哲学者を気取って、アニメオタクに走った。しかし、何より前回と違ったこと、それは悩む時間があった、ということだ。我が家では連日のように「家族会議」が開かれ、"厳密な"審議が諮られた。「国境なき子どもたち」がバックアップしてくれることになってからは、カンボジア行きを中止することは不可能となったが、それでも家族会議は続けられた。その合い間にぼくは2人に電話して話し合いをした。最初の目的は前回会った「若者の家」のトモダチに再会するということ、そして次に重要な目的は「国境なき子どもたち」の新しいプロジェクト「ビルディングトゥギャザー」に参加するということ、この「ビルディングトゥギャザー」というのは、「若者の家」の家の子どもたちの家、衣食住・職業訓練の提供の場であり、「若者の家」を卒業した人たちの故郷となるわかりやすく言うならば「KnK村」?もしくは「KnK王国」?を作ろうというプロジェクトで、建物の建設には「若者の家」の子どもたちも携わる。これが2番目の目的なのは、訪れる予定の日に、必ずしもプロジェクトが開始していないかもしれなかったからだ。しかしプロジェクトに使う広大な土地は既に「国境なき子どもたち」が購入済みだ。ものすごくわくわくする。その他にぼくたちは、現地で具体的何をしたいのか、お土産はどうするか、パスポート・予防接種などの問題を話し合った。現地でやりたいことは大まかに次のように決まった。
・日本の文化を通して、交流できるワークショップ(習字・日本語)を開く。
・前回会った「若者の家」のトモダチと再会する
・もしできたら「ビルディングトゥギャザー」に参加する。
お土産に関することは、香菜さんはホームランド、三宅さんは「若者の家」男子の家、ぼくは「若者の家」女子の家を担当することになった。結果
的には自分の担当に 縛られず、お土産を持っていった。女子の家のお土産には、母がビーズのブレスレットを、近所の片岡さんが、巾着袋を作って下さった。それからぼくが通
っていた「ちばかえつ幼稚園」の泉山園長先生は、幼稚園の傘や、文房具類、石鹸、お手玉
、水鉄砲、ピアニカなどを、カンボジアの子どもたちへ提供してくださり、荷造りまで、手伝って下さった。それらのものは、自分で持てるもの以外は郵送し、(先生は郵送費まで出してくださった!)「若者の家」男子とホームランドへのお土産にした。その他には、「若者の家」男子に、靴を32足送った。男の子は外で遊ぶのが大好きで、サッカーはよくしているのだが、みんな裸足らしい。きっと靴があれば、もっとゲームを楽しめるだろうし、足をけがする心配もなくなると思ったからだ。ぼくの学校の各クラスに、靴を集めるポスターを貼らせてもらったら、あっと言う間に32足集まった。これには、学校の先生方の協力もあってのことだ。泉山先生、学校の先生方、片岡さん、靴を持ってきてくれた人たちに心からの感謝を贈りたいと思う。
「国境なきこどもたち」のスタッフの方々が、大使館でのビザの取得、航空券・ホテルの予約などすべてして下さったので、お土産の準備以外にぼくたちがしたことといえば、予備のパスポート用写
真を撮ることと、予防接種を受けることと荷物詰めくらいだった。ぼくは東京駅八重洲口の近くにある「東京検疫所」で、A型肝炎と日本脳炎のワクチンを受けた。A型肝炎のワクチンは、別
の日にもう1回受けた。半年後 にもう1回受けたら、10年後まで受けなくて大丈夫なのだそうだ。カンボジアに行くとき受けるべきワクチンは、A型肝炎、日本脳炎、破傷風の3つがあるが、今回ぼくは、破傷風のワクチンは打たなかった。前回打ったワクチンの免疫がまだ切れていなかったからだ。トランクは今回新しい物を購入した、白の四輪キャスターですばらしく大きかった。(靴をトランクに詰めていこうと考えていたからだ。)しかし、結局彼の出番は来なかった。靴を郵送してしまうことにしたからだ。靴の総重量
は16Kgだった。一人当たり飛行機に詰める荷物の(手荷物を除く)重量
制限は、20Kgだから、(それ以上だと超荷料金を払わなければならない)郵送したのは、本当に正解だったと思う。そうこうしているうちに旅立ちの日は刻々と近づいていった。
8月2日には、東京駅に香菜さんと三宅さんを迎えに行った。その日は我が家に宿泊して、翌日の出発に備えた。10日間食べないであろう日本の食事、座ることのないであろう畳、そして翌日……。成田空港でぼくらはカメラマンの清水さんと合流した。清水さんは2002年の時も、同行して下さった。ジャッキーチェン好きで料理上手なナイスガイである。チェックカウンターで搭乗手続きを済ませると、千葉テレビの取材の方が来ていた。巨大な飛行機が、離陸の準備をしているのが見える眩しい搭乗口の近くのベンチで、インタビューを受けた。税関をあっけなく越えてしまった。まだ日本に居るはずなのに、もう日本の外に出たような感覚になっていた。真っ赤な停止ラインが鮮明に頭に映っていた。ぼくらはインタビューに答えた……。ぼくらを乗せたTG64便は定刻どおりに離陸した。
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