■若い人からのお便り〜2004年5月〜

★「最近の世界に対して考えること」〜『日本人人質事件を考える緊急集会』に参加して〜

こんにちは。中2になった五十嵐敬也です。昨年度までに書かせていただいたレポートに続き、今回からは心機一転、とらえるテーマを広げて書かせていただきます。えっ更新するのが遅かったって?ハイ、すみません……ちゃんと月1回原稿入れます。この言葉を信じて、今すぐこのページを閉じることに一抹のためらいを覚えた、心優しきあなた!これからも変わらぬご愛読をお願い致します。(笑)



今、地球が病気だ。肉体的にも、精神的にも……。そう感じるのは、きっとぼくだけではないと思う。平等なはずの権利は、壊され、多くの人たちがささやかな幸せをつかめずに死んでいく。朝7時のニュースでそうした事実を目にすることが、以前よりずっと増えた。増え続けている。そしてニュースを見終わってぼくは学校にいく。大抵しんどい。正しいかどうかわからない「正義」は何も生まなかった、生みそうにもない。ぼくたちの両親がちゃんと納めた税金が、劣化ウラン弾やクラスター爆弾に変身しているという噂も聞く。「正義」が生み出したのは悲しみだけだった。「正義」とは何か……100字以内で説明しなさい、など今急に問題を突き出されたとしても、ぼくはすぐには書けないだろう。けれど、罪のない人たちをむごたらしいやり方で殺したり、殺人を支持することが「正義」でないということは、原稿用紙に書かなくてもわかる。

「正義」という意味を辞書で引いてみると「正しい道理、人間行為の正しさ」とある。天下の岩波書店の辞書、しかも!第3版だ。まず間違いはないと思う。しかし、そのことはある重要なことをぼくたちに教えてくれる。それは「辞書に書いてある通りでの{意味}の単語が存在するかどうか」ということだ。それを言えばスーパーに並ぶ「国産牛」だって、本来の意味ではないかもしれない。油断は禁物だ。毎日の生活の中で、知らず知らずのうちに信じ続けてきたものが、いつの間にか、違うものに、恐ろしいものに化けているのかもしれない。冷静に見つめ直せば、今の時代頼れる「単語」は、もうないのかもしれない。ぼくはそれに寂しさを感じた。

そんな中、人質事件が起こった。そのとき、ぼくは「やっぱりな」と思った。「正義」という単語はすでに蝕まれていたのだ。「あれ?真実を伝えようと命を賭けることって、困っている人を助けようとすることって悪いことだったっけ? 戦争って良いことだったっけ?」 疑問符が次々と生まれながらも、自分の「信じてたモノ」を冷ややかな目で見つめている自分がそこにはいた。

日本ビジュアル・ジャーナリスト協会が呼びかけた『イラク人質事件を考える緊急集会』というのが開かれると聞いたのはそんなときで、ぼくは突き動かされるように中野へ赴いた。 とにかく何かにすがりたかった。確信が欲しかったのだ。

会場はすごく混み合っていて、まさに老若男女問わず、という感じだった。定員200名のところに900名以上がつめかけていた。そして、その中でぼくは一番若かった。(ようだ?)森住卓、広河隆一といったテレビで馴染みの深いジャーナリストの方々が5人いて、今回の人質問題や、政府の対応、そしてジャーナリストの使命などについて、熱く語っていた。 中2の未熟なぼくには、少し難しい部分もあったが、本当に伝えたいことがあるとき「人間は言葉を越えられる」というぼく自身のカンボジア体験を通して学んだことをここで改めて感じた。

現在のイラクは、報道されないできごとがたくさん起きているらしい。大手報道の大抵は「人間としての"自由の国"の兵」ばかりをとらえているようで、実際のところは"自由の国"の兵による人権侵害や虐殺が当たり前のように行われているとのことだ。あるジャーナリストはこんなイラクでのエピソードを話していた。

〜ある青年がいた。その青年は友達と遊んでいて、友達が荷物を取りに一度家に入った。彼は家の外に居た。 "自由の国"の兵が広報誌を配っていて、それを2部貰いたいと思ったのだが英語がわからない。しかたなく「ピース」のように指を2本たてて"自由の国"の兵に見せた。すると"自由の国"の兵はそれを勝手に「レジスタンスは勝利した」という意味合いで受け取り、「反抗的だ」と彼を刑務所に送った。〜"自由の国"から輸入された映画やドラマが、ときどき茶の間にも入ってくる。法律物などを見ていると、"自由の国"の人たちはすぐに訴訟を起こしている。「愛犬の身体を洗った後、電子レンジで乾かしたら死んでしまったのは、メーカーの 説明不足 だ。」と言っている飼い主もいたらしい。その訴訟でメーカーは有罪になった。

それなのに今イラクでは、"自由の国"では絶対に許されないであろう不条理なことが許されている。占領したらなんでも許されるのだろうか。それともそれこそが、"自由の国"の言う「正義」で「人道支援」なのか。正しいことが握りつぶされ、悪いことが平然のはびこる。すべてがおかしい。ぼくは怒りが込み上げてきた。

誰も伝えないそんな真実を、命を賭けて伝えようとする人、 間違った「正義」の犠牲になった人々を助けようとする人、今回拉致されて解放された人たちや、今拉致されている2人に対して、"単語を信じすぎたお偉方たち"は「自己責任」という言葉を投げつけた。民衆は日々の不満をこれとばかりに弱者にぶつけ、そしてあるお偉方は3人が拉致されている最中にビールとワインを飲んで、ステーキを食っていた(!)

ここであらためてこう言いたい。日本は"自由の国"に加担した。「正義」という言葉の真の意味、それをぼくも含めたすべての人が、まさに今考えるべきだなと思った。そして、この日得た「信じるもの」は本当の意味での「信じるもの」だとぼくは確信した。ぼくは今まで「怒り」が生むものは「報復」だと考えていた。だが、この会場で生まれた「矛盾に対する怒り」は「団結」を生んだ。

話が進んでいくうちに会場全体の考えが徐々にひとつになっていき、全体が協調していった。そして最後はあるジャーナリストの言葉が高らかに響き渡り、締めくくられた。

「我々の仕事は真実を伝えることだ。」

連絡先『The Date Line Club』五十嵐敬也
ohkun_knk@yahoo.co.jp
特定非営利活動法人『国境なき子どもたち』
http://www.knk.or.jp/