■若い人からのお便り〜2002年7月〜
『日付変更線』〜2002年春・小学生のぼくがカンボジアで見たもの、感じたこと〜パート2 五十嵐敬也

★若者の家

『若者の家』は『国境なき子どもたち』が直接運営している施設で、教育や職業訓練を行っています。『若者の家・男子』と『若者の家・女子』に分かれていて、共同生活をしています。でも、ずっとそこで勉強しているのではなくて、外の一般 の学校へ通う人もいて、そこへも取材に行きました。

自分より小さい年齢の子と一緒に勉強しなければならなくても、みんなとっても生き生きとがんばっていて、ぼくたちは勉強している時、やる気がなかったり、文句を言ったりしているなぁと、ちょっと反省しました。それはぼくたちがすごく恵まれているからだと思いました。

職業訓練で取材したのは“木彫り”や“絵画”や“裁縫”などでしたが、みんながすごく器用なのには驚きました。それから、ここに住むダラさんという女の子の実家はスラム街にあるのですが、そこへも取材に行きました。そこには、事故で働けなくなっているお父さんと小さい子を抱えたお母さんたちが、狭い所に住んでいました。インタビューした時、ご両親は「娘がちゃんとした環境で生活できる方がいい。」と言っていましたが、ダラさんは「家に帰りたい。」と言って泣いてしまいました。ぼくはその涙が忘れられません。

『若者の家』に住む人たちの中から男女2人ずつが選ばれて、ぼくたちとアンコールワットへ行きましたが、その旅は楽しい思い出です。みんなとても仲良くなりました。

両親に会いに行けない日曜日は嫌いと言っていたファラさん。もういない両親がもしまだいたら、将来自分が稼ぐお金で養ってあげたかったと言ったティーランさん。

明るくてひょうきんだけど、知っているトラフィックトチルドレンの話を鋭い目で話してくれたチャンター君。

そして一番仲良くなって今も交流を続けているソンボン君。(今ではソン兄さんと呼んでいます。)いつか絶対再会して、いっぱいもらったパワーを返せるようにしたいです。


『sunday』

日曜日は楽しくない
友達の顔も見たくない
「時間なんてなけりゃいいのに」と
私は思う

家族のことを考えたい
今だけは幸せでいたい
でも考えれば考えるほど 家族が
自分から遠くなりそう

今日だけは
小鳥の鳴き声も
大好きなヌードルも
みんなきらい
日曜日なんて大きらい

★終わりに

今回の旅ほど、強烈な体験は今までありませんでした。何度も頭をなぐられた気分になったけど、不思議に今までにない優しい気持ちも知りました。

今回取材した子どもたちは、一見みんな楽しそうに笑っていました。でも、みんなぼくが想像もできないような辛い過去を持っていました。よく“過去を背負っている”という言い方がありますが、背負っているというより、忘れようとしている感じがしました。元トラフィックトチルドレンの人に話を聞いた時は鳥肌が立ちました。「稼ぎが少ないと電気ショックを受けさせられていた。」「わざとハンディを作る注射を打たれている子がいた。」……そんな事は本の中の話でしかないと思っていました。

カンボジアにはいくつか子どもたちのための施設がありますが、全員の分はありません。最初はもっとそういう施設が増えれば良いと思いました。でも、本当はそういう施設はなくなった方がいいのです。家族がいなくなったり、離れ離れになるなんておかしいのです。何も悪いことをしていないのに、殺されたり、時には子どもにまで銃を向ける世界がこの地球上にあってはいけないと思いました。

戦争して楽しい人なんていないはずなのに、どうして同じ過ちが繰り返されるか……と思うと悲しいです。カンボジアでは手足のない人も何人も見かけました。それでもたくましく生きている姿は、ものすごい迫力がありました。まだたくさん埋まっている地雷の犠牲者は、もうこれ以上出てほしくありません。

ぼくは10日間を終えて、自分の家に帰った時、家族に会ってほっとしました。でも、何度もかかったホームシックがすごくぜいたくな病気だと心から思いました。帰る家もない、家族もいない、学校へも行けない、そんな人たちがたくさんいる事を見て聞いて、知って本当にショックでした。だから、このショックとカンボジアでもらったパワーをちゃんと活かしたいと思いました。

お世話になったたくさんのみなさまへ……オークン!(ありがとう。)


『靴』

いない いない いないんだ
ぼくをはいてたあの小さな男の子が

いつもいっしょだったのに
ぼくを置いたまま
あの子はいってしまったんだ

いない いない いないんだ
あの子は知らないで地雷を踏んでしまった

ずっといっしょだと思っていたのに
いくら悲しんでも
あの子は二度とかえってこない

もうどこにも連れて行ってあげられない
誰もぼくをはいてくれない
悲しみと苦しみだけがここにあるんだ

★帰国後のぼく そしてこれから

帰国してからもう3ヶ月経ちました。

カンボジアへ連れていってもらえた時の思いは、全然薄れていません。この期間ぼくは色々な経験をさせてもらいました。取材などで、普段ならとても会えない人に会って話をしたり、新聞に掲載されたり、インターネットに登場したりしました。そこで突然“よく受ける質問コーナー”です。ほとんどの方に聞かれるのが次の質問です。

★どうしてこの企画に応募したのか?

昨年9月のニューヨークの自爆テロ以来、難民などに関心を持つようになり、是非自分の目で確かめたかった。

★選ばれた時の気持ちは?

一人で留守番中に電話で知らされた。最初は信じられなかったが、すごく嬉しくて部屋中飛び跳ねた。

★出発する時の気持ちは?

ドキドキ(不安)80%ワクワク(期待とやる気)20%

★一番印象的だったことは?

一番というのは難しいけれど、辛い過去を持った子どもたちが明るかったこと。生きるパワーをたくさんもらって帰ってきた。

★今度はどこの国へ行きたいか?

アフリカやアフガニスタンなどたくさん行きたい国はあるけれど、もう一度カンボジアへ行きたい気持ちの方が強い。

★将来何になりたいか?

たくさんあるが、国際的な仕事がしたい。(憧れの職業は国連難民高等弁務官)どんな職業に就いてもNGO活動には是非参加していきたい。

最近は、近隣の小中学校へ『国境なき医師団日本』と『国境なき子どもたち』のポスターを貼ってもらうように頼んで歩いたり、友達と『国境なき子どもたち』の5円玉 キャンペーンに参加するための5円玉を集めたり、みんなに伝えたい思いを詩や作文に書いたりしています。

カンボジアの友達とはメールで交流しています。6月のぼくの誕生日には、手書きの絵のカードとカンボジアの音楽を録音したテープを送ってくれました。ぼくの宝物です。それから『国境なき子どもたち』で一度レポーターとして参加した人は、その後も『子ども理事』としてずっと活動しています。ときどき集まる機会があって、そういう時いろいろな人の話を聞くのはすごく楽しいし刺激を受けます。この夏にカンボジアへ1ヶ月ボランティアに出かける人もいます。今はみんなでこの秋の『国境なき医師団日本』の設立10周年イベントの準備に入っています。

ぼくが3ヶ月経った今でも一番言いたい事は “みんなで世界を知ろう。知って考えよう”という事です。次の時代を作っていくのはぼくたち子どもです。でもそのぼくたちはほとんど何も知りません。学校でも、もっと世界の事を勉強したいです。ぼく自身ももっと勉強しないといけないと実感しています。

そして知れば、誰でも知らん顔はできないと思うし、みんなでちゃんと考えたら、誰も戦争なんかしなくなると信じています。

『日付変更線』
〜みんなの笑顔をとりもどすために〜

空はどこまでも続いている
でも まだ飛び立つことができないよ
水平線は世界中つながっている
でも 一人では泳ぎ出せないよ

みんなのまわりを見てみよう
泣いている子や震えている子がいないかどうか
みんなで力を合わせれば
きっと見えるよ 希望や未来が
今日がみんなの日付変更線

子どもだって生きている
お父さん 温かい家を守ってください
子どもは大切な宝物
お母さん 子どもの手を離さないでください

悲しい涙も寒い夜も
がまんするのは昨日までだよ
となりの人と手をつなごう
誰だって幸せにならなくちゃいけない
今日がみんなの日付変更線

★5円玉キャンペーンや団体の詳しい事は下記のホームページをご覧下さい
『国境なき医師団日本』
『国境なき子どもたち』