★海からのおたより・21 〜2005年3月〜 古人の愛した小貝(こがい)

春一番が吹きました。春一番は冬の終わりに日本海で発達した低気圧によって吹く強い南風です。瀬戸内から北九州にかけての漁師たちにとっては、その後に吹く北風の注意信号になっているそうです。春先の強い風はサクラガイなどの貝を浜に打ち上げるので「貝寄せの風」ともいわれています。ほんのすこしだけ暖かくなってきた浜で小貝を拾ってきたので整理してみました。

歌人が愛した貝

日本人はむかしから貝に親しんできました。食料や装身具としてだけでなく、時代が下ると都の雅な人々は殻をコレクションするようになりました。貝の美しさ、珍しさをくらべた「貝あわせ」にはじまり、ハマグリを使った「貝覆い」、(CMで牛若丸に会いに行く上戸彩ちゃんがあそんでいますね)さらに時代が下ると歌人は三十六歌仙にちなんで箱に36種類の貝を入れ、「歌仙貝」と称して歌を詠んで愛でました。鎌倉・由比ガ浜海岸、能登・増穂の浦、紀伊・和歌の浦は小貝が拾える浜として古くから知られており、名歌のふるさとでもありました。

汐そむる ますほの小貝 拾うとて いろのはまとは いふにあるらむ
西行・山家集

歌仙貝 拾ふてゆかん 和歌の浦
雑俳・へらず口

増穂の浦は能登半島・石川県富来町(とぎ)にあり、さくら貝が拾える浜として有名です。西行はおよそ900年前に増穂の浦を訪れています。ちなみにわたしは由比ガ浜しか行ったことがありませんが、いずれの地も波穏やかな海水浴場として人気があります。

「歌仙貝」を再現してみました

古人の愛した貝はどんな貝だったのでしょう。わたしは以前から歌仙貝をつくってみようと思っていたのですが、古文書の貝の名は現在の和名と違っていたり、絵がはっきりしなかったりしてくわしくはわかりませんでした。昨年夏、大阪市立自然史博物館で大阪府有形文化財に指定された「木村蒹葭堂、貝石標本(きむらけんかどう ばいせきひょうほん)」を見て感激しました。データーベースとして公開されていますのでぜひご覧になってください。

今回はそれを参考にして歌仙貝を再現してみました。

江戸時代中期のものとされるコレクションは漆塗りの貝細工の重箱に収められています。わたしは少々お手軽ではありますがホームセンターで工具箱を買ってきてならべてみました。一部不明な貝は空欄になっています。手に入らない貝はなるべく近い種類を入れてみたのでだいたいの感じはおわかりになるかと思います。意外と地味な貝が多いと思いませんか?これだけの貝が拾える浜ならばもっと派手な貝が拾えるはずなのですが。

「貝石標本」は大阪の学者の標本なので産地は大阪湾や和歌の浦のものかもしれませんが、ほぼ館山でも同じような貝が集められます。浅いところにすむ貝がほとんどでめずらしいものや美しいものばかりではないような印象です。しかしこれらの貝は大きさもそろっていてかなりたくさんの貝の中から選んだのではないかと思われます。中にはわたしだったら拾ってきても自慢しないようなものもありました。歌仙貝は家々によって少しずつ違うそうなのでこれが彼の好みだったのかもしれません。

「兼葭堂の歌仙貝」を使って実際に歌が詠まれたのかどうかはわかりませんが、宝物として大切にされてきたことはたしかです。貝は時代を超えた魅力あるコレクションだとあらためて感じました。そしていつしか私家版の歌仙貝で歌を詠んでみたいものです。

貝づくし
ひなまつりにひなあられとともにおひなさまにお供えする「貝づくし」という干菓子があります。ひなまつりは旧暦の3月3日(今年は4月11日)の潮干狩り行事でもあったので和三盆の貝のお菓子がつくられたのでしょう。

有平糖の野菜細工とともに近ごろはあまり見ることがなくなりました。最近はひな菓子もゼリーやマシュマロでできたものがふえて、貝をモチーフにしたものはなかなかみつかりません。ようやくデパートの和菓子売り場でかわいいひな菓子を見つけてきました。まさに古人の愛した小貝そのものではありませんか。

おひなさまにしても歌仙貝にしても日本人は可憐で小さなものを愛してきました。桃の花も菜の花もとてもシンプルで小さな花ですね。そろそろ潮干狩りシーズンです。桜貝は春の季語になっています。アサリだけでなく、今年はちょっぴり風雅に小貝も拾ってきてみてはいかがでしょう。

どんぐりつうしん変集長
谷口優子
e-mail:taniguchi-donguri@nifty.com