■会留府のこと〜2004年10月〜
少し前は電車に乗ると良く見られたのだけれど、最近マンガを読んでいる若い人の姿があまり見られなくなった。マンガを読んでいるのはむしろ中年と言ってもよいような人たち(全部がそうだというわけではないが)、かなりの若い人たちは音楽を聞きながらメールをうっているかケイタイをのぞきこんで何やら……のようす。
メールはケイタイでできるようになって飛躍的に伸びた。所かまわず、大声でケイタイ電話を使っている人は少なくなった。若い人たちにとってケイタイ電話は音声伝達の方法というより、ゲームをしたり、書くような物の手段に変わってしまった。どうしてこうまでケイタイが発達してしまったのだろう。電車に代表されるような限られた空間と時間の中、必要なくても必要をつくってメールをするかゲームに没頭する、あれは、ひと頃批判が強かった電車の中でお化粧をすることの心理と同じものかもしれない。
それは夢中になって没頭すればするほど、まわりの人々の存在は目に入らなくなり、自分のことと限られた狭い対象しか考えられない状態になる。このことは、ある面では本を読むことと共通のところがあるが、こちらはあまり批判されない、せいぜい目を悪くしないようにと注意されるくらいだ。(マンガはやっぱり言われたか!)それなのにメール、特に手短かにできるケイタイメールが問題にされるのはなぜだろうか。
★理由の1……まず、お金の問題。手軽で便利なだけにどんどん使ってしまう。請求書がきてびっくりする。自分で働いて、その仕事のために必要というのではないだけに、若い人たちや子どもに対しては風当たりが強い。
★理由の2……人と人とが結びつくのに、少し前まではそれなりの方法や時間が必要だったが、それらすべて省略されるために、相手も本人もどういう人なのかがわかりにくい。したがって虚構の世界に入り込んでもなんら不思議ではない。犯罪や非行が問題になるのはこの点である。子どもたち、特に幼い子どもたちにとってとても大切なのは、現実を自分の体を使って掴み取る事。どんどん省略していってしまう現代、紙質の肌触り、文字の形、声の感じなど、いわゆる感覚の世界は意識しないと、どんどん無機質になってしまう。
★理由の3……速さと単純化が必要とされるので、たとえば手紙を書く、伝えるという、時間をかけて自分の意志を働かせていく事も必要とされなくなる。
★理由の4……スピードの速さもさることながら、量的にたくさんの人たちとあっという まもなく知り合いになってしまう、質より量的な面が強い。
そして、一番大きな理由は、子どもたちがおとなから、特に親たちの知りようもない世界にどんどんいってしまう、世の中をコントロールしていかれなくなるのではないかという、おとなの感じている恐怖心からなのではないだろうか。
一世代前と違って 人間関係が分断されて、孤立しているから、何かを理解しようと思っても難しい。たとえば、小学生をみたってずっと親のみえない世界にいることが多い。朝8時から夜9時まで学校+塾やおけいこごと、そして、こども部屋という個室の中のひとりだけの存在、友だちといえば、隣の○○ちゃんだったり、クラスの○○くんで、みんなおとなの顔の見えるところにいたのに、いまはおとなだけでなく、本人すら会った事もない人だったりする。生きることに自信をなくしているおとな自身、子どもたちを信頼する事のできないおとなとの間には、当然良い関係が生まれるすべはない。
私自身の事をいえば、メールは(私はパソコンを使うのだけれど)仕事上必要なものだし、ともかく便利で恩恵を受けてもいるし、性格的にもあっている道具なので、積極的に使いたいと思うけれど、どんどん自分の時間がなくなってしまうので、今の状態ではそれを自分の中心に置きたくはない。ケイタイを持って、というより持たされて右往左往している仕事中毒のおとなたちは、けっして子どもたちの未来であってはならないと思いたいからである。
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