■会留府のこと〜2003年5月〜

新学期が始まって一ヵ月がたった。先月の続き、学校図書館について。

でも、そうい えば昨年も一昨年も今頃は学校図書館のことについて書いたと思う。学校図書館法の中で実施されていないと同様だった人の問題、12学級以上の学校には司書教諭を置くことと定められた、このことはどうなるかと気になっていた。この法令は実施されれば大変喜ばしいことはいうまでもない。

学校図書館でなくとも学校という建物があれ ば、子どもがいれば学校が成り立つものではないことはいうまでもない。図書室にしても本がなければ何ごとも始まらないのは自明のことだ。けれど本があるからといって、子ども達が本を読む楽しさを知ることにはならない。

学校におけるこの本を読む ということには、1人で読むというきわめて個人的な営みの一つである面 と、本を読むことを学習する中で他の人達とコミュニケーションをはかる力をつけていくという二つの面 がある。

今の学校のいわゆる読書教育の中で、その二つの面のバランスや役 割がどうなっているのかどうも解らない。朝読書一つとっても盛んになるのは良いことなのだが、その時間先生はどこかへ行ってしまうとか、仕事をしているとか、読書が成績(内申書)に影響するとか、図書室の蔵書は適当ではないから家から本を持ってくるように指導するとか、図書室は専任の人がいないためカギをかけておくとか、あいもかわらない。

司書教諭をおくということで少しは進む方向にいくかと思ったの だが、残念ながらほとんどかわらない状態で新学期がスタートした。専任の司書教諭がおかれるわけでもないから、教師は自分のクラスを持ちながら、とても手がまわらない。

第一千葉市あたりでは12学級以下の学校も多くなっているし、“あれは司書教諭の資格をもった教師が学校に1人いれば良いということでしょう”などと言う人もいる。

財政難とかで図書予算は少しも増えず、公共図書館とのネットワーク化を進めるということで、今年からその準備が始まるのだけれど、バーコードを貼ったりなどの装備は業者サービス、不況の中、業者間の競争は激しくなるばかりなので、とてもとても一冊一冊選書していくなどということは出来ず、町の書店とほとんど変わらないものが図書室に並ぶということになってしまう。

それでも新しい本がはいるのを子ども達は待っているし、図書室に専任の人がいれば、子ども達が図書室に行く回数はずっと多くなることは証明済みである。この法律の効力をアップしていくのはこれからかもしれないからあきらめてはいけない。

もう一つ学校図書館の問題は学校、教育全体のことを抜きには考えられない。学校というのは自分の子どもが通 っているうち はかかわりがあるが、離れてしまうと一般の人には遠い存在になってしまう。子どもは社会の財産という考え方がないと、これらの議論は深まらないのではないかとおもう。

(つづく)