■会留府のこと〜2003年3月〜

むかし、といおうか私の子どもだった頃に絵本と名のつくものはほとんどなかった。

戦争で物がなくなってしまったのと、貧しかったから子どものための本などほとんどなかった。ただ、戦後アメリカからの働きかけや民主教育ということで学校図書館法ができ、どんな形であれ公立の学校には図書室がかならず置かれることになり、かなり充実していた。

私自身は幸いに本が生活の一部と考えていた家庭に育ったので、おとなの本ではあったが家に本があった。その中に父自身が読んだ岩波少年文庫があり、私はその中のいくつかに手を出して読書の楽しさを知ることができた。『ドリトル先生航海記』などである。けれども絵本が家にあるという状況にはなかった。

わずかに記憶に残っているのは『岩波子どもの本』である。学校の図書室で見たように思う。『ちいさいおうち』や『おそばのくきはなぜあかい』等……だからあるキッカケでおとなになつて福音館の絵本『てぶくろ』や『3びきのくま』『どろんこハリー』等を見た時、そして後年『もりのなか』を見たときはほんとにショックだった。なんてきれいな絵だろう!

お話のおもしろさというより絵のすばらしさ、このことは私が絵本を好きになった原体験である。私にとって絵と物語のおもしろさは別 々の年令で訪れた。幼い子ども達が絵本を読んでいるのをみると、明らかに絵を見ている。文は読んでもらうもの、耳から入ってくる言葉のリズム、時には読んでもらえないでそらで暗記してしまった言葉を声に出して自分で再生しながら絵を見ている。絵は目で、言葉(文)は耳で、ふたつの回路が一緒になって楽しんでいる。

おとなになると挿絵、もしくは絵が全然なくとも(洋書のペーパーバックスは挿絵がないのが多い)目と耳で文を読んで、絵は自らの頭の中で想像して描きながら読んでいく、挿絵が自分のイメージにピッタリした時にはその想像力が何倍にも膨らんでくる。その絵のイメージの部分はその人の育った環境に負うことが多いのではないかと思う。やはり私のことでいえば、地方都市の水と緑がたっぷりな自然の中で育ったことと父の影響があるのでないかと思う。

父は今みたいなグラフィックなものがあったわけではないが、戦前の一時モダンな時代に東京で大学生活を送ったり、大したものではないが書、絵、骨董のたぐいがあったり、何よりもテレビはなくアニメーションもない、このことは大きなことではないかと思う。私もまた、育った環境のなかには『怪けつゾロリ』のような絵の世界がない。

ところで、最近刊行されて8巻完結した『デルトラ・クエスト』という小学校高学年から中学生の男の子にずいぶん読まれている本がある。作者はローワンのシリーズを書いているエミリー・ロッダ、内容はまあまあおもしろいのだが、1巻がでたときに表紙の絵に驚いた。と、いうのはゲームの攻略本の装丁だからだ。ギンギラギンでオドロオドロしくて、描いているのはゲームデザイナー、テレビとゲームの中で育っている今の子ども達にうける秘密がこの装丁の中にあると思う。

本の絵や作りにこだわってしまう私としては、読むかもしれないけど (かるくて結構おもしろい)、自分の蔵書にはしないなぁ……(これは本屋としては矛盾しているか)、ここまで考えてハタとおもいあたったのは、私の世代はこういう本は街の貸本屋から借りたのだということである。ルパンとか怪人二十面 相とか、 良く読んだ。今、話題になっている図書館が無料貸本屋になっているということ、そして学校図書館もそれに近いということなど関係があるのではないかとおもう。

(つづく)