■会留府のこと〜2002年2月〜

この原稿を書き終わって送る矢先、東村山でホームレスの男の人を少年達が暴行を加え、殺してしまった事件がおきて、急遽書き直すことにした。事件の発端になった最初の舞台が図書館で、単なる非行グループの問題でないように思ったからだ。

以前から図書館の利用の仕方が時々話題になるが、千葉市でもこんなことを言っている人がいた。去年のあの暑い夏の盛り、若い母親達が児童室で子どもを遊ばせて自分達もおしゃべりに夢中になって、うるさくてしかたがない、ゆっくり本を読んでいられないというものだ。

図書館ではないが公民館などでも、絵本などの読み聞かせや若い母親向きの絵本の講座を開きたいといってもあまり良い顔はされない。時には断られることもある。子どもがうるさくて、もしケガでもされたら大変だからというのが理由である。おまけに今の若い親は子どもがまわりの迷惑になるようなことをしても叱らない傾向が強い。(本当は子育てをしている若い親に聞いて欲しい)

子どもが騒ぐには理由がある。店でいうと小学生以前の子どもは店に来ると興奮して騒ぐことが多い。本がたくさんある。しかも買ってくれるという。少々興奮するのが当たり前だ。(中には一言もしゃべらないで、小さなイスに座って母親の本選びをじっと待っている子どもがいて、正直そのことの方が私にはひどく心配だ)眠かったり、お腹が空いていればなおさら、それでも子どもの声などなんのその、何時間も丹念に本を見ている人もいる。騒ぐだけでなく本を引っぱり出して乱暴に扱っていても目に入らず、飽きてしまって帰ると言い出しても、そのたびにナマ返事をして本を読み続ける人もいる。

でも、店に入って来る人は本を買う人、買わずとも本を見る人だ。ひとたび、図書館を見ると必ずしも本を借りていく人、読む人ばかりではない。今回もホームレスの人は本を読みに来ていたが、少年達は本を読みに来ていたわけではないだろう。図書館は一体誰のために、何のためにあるのだろうか。

茶髪でピアス、今までにも何度か親も学校に呼び出されて補導されていたという。近所の人も夜中などに騒いで迷惑をこうむっていたとか。厄介者の扱いを受けて社会から弾かれていた少年達が、これもまた、社会から厄介者の扱いされているホームレスを襲う。現実の社会は適応できない人を振り落とす。この図式はいたるところで見られる。弱い人間は決して強い者には逆らわない。逆らえない。より弱い人に自分の怒りや不満をぶつけ、コントロールできない感情をどんどんエスカレートさせていく。

本という言葉を巡って思考を深めていくところとしての図書館からほど遠い事件が起きる、なんとも皮肉なことと思う。

児童館一つとしてない千葉市で子ども達が集まる場所がない。もし図書館のような公共施設ににホームレスの人がたくさん終日いたら一般 市民はどう反応するだろうか。

コミニュケーションをかわす場所がない。これを機会に学校や図書館の職員達は十分に話し合ってほしい。私にはこの少年たちとホームレスの人達がダブッて見えてしかたがない。

■ご報告

ありがとうございました。小林豊さんの講演会は盛会で終わりました。子どもたちの姿もチラホラあって、機会があればもっともっと子どもたちに聞いて欲しいと思いました。

参加人数は136名、チケット代金と寄付金、計52,800円をペシャワール会に送ります。1人でも多く生きていって欲しいと願わずにいられません。