■会留府のこと〜2001年10月〜
今月はどうしてもこの事に触れないわけにはいきません。
9月11日7時のニュースを見そこなった私は、10時にテレビをつけて間もなく“えっ!”、一瞬飛行機事故だ!と思いました。
前日雨の中を歩き廻ったためにすっかり風邪をひいて熱っぽい体をもてあましていました。それなのにとうとう2時まで何をどう理解して良いのかわからないままに、テレビの前にくぎづけになり眠れませんでした。
私には戦争の記憶はありません。朝鮮戦争で“臨時ニュースを申し上げげます”というラジオからのアナウンサーの声が戦争に関しての最初の記憶です。学校のクラスには生まれないうちに戦死してしまって父親の顔を知らない同級生が何人かいました。父は教師だったので戦後はやめようと思った様でした。
時々うなされることがあって、その時は中国に行っていた時の事を夢で見ていたことを、ずいぶん後に聞かされました。たまたまイモ泥棒に行った為に助かったこと、マラリアにかかったこと、中国は三日歩いても山一つ見えず、しまいには同じ所をぐるぐる回っているだけではないかと思う程広いこと、時々滑稽なことを話したりしましたが、その他ほとんど語ることなく生涯を終えました。
母の話はもっぱら食糧難のことでした。体の弱い私にどうやって栄養をつけようか、弟をどうやって育てようかと苦労したようです。
世界貿易ビルに飛行機が突っ込む映像はまるで特撮映画のようにきれいでした。音はなく、きれいに切り取られた世界でした。くりかえし、くりかえし放映される画面
は、何十回見ようと少しも変わらず、鮮やかに次から次へと何十回も起こったように思われなくもありませんでした。
もちろん臭いもなく、痛みも、苦しみもなく、ただ呆然と4時間もテレビを見続けていたのです。私の想像力はしばらく止まったままでした。
やつと動き出したのは小泉総理がアメリカの行動を積極的に支持すると表明してからです。それと同時に吹いている風や、血の臭い、おびただしいダストがおしよせてきました。
風邪はどうやら良くなったものの片頭痛が続いて、その中でどう言葉で自分の気持ちを表明しようか考え続けています。ずっと戦いの中で存在をおびやかされてきたアフガンの子ども達には言葉の力は届くのでしょうか?“復讐を”と叫んでいるアメリカの人達に言葉の力を訴えることは出来るのでしょうか?
そして、学校で“日本も戦争になるかもしれません”と先生に言われ“戦争になったら僕も死んでしまうの?”と言ったSちゃんにどう答えたら良いのでしょうか?
仲間や来店されるお客様とともかくお話することにしています。男の子を持った母親たちの中には、このままだと殺されるだけでなく人を殺すように送り出すことになるかもしれないと、しのびよってくる不安を感じている人もいます。かつての母親のように。
言葉は無力でしょうか?
アメリカの新聞紙上に意見広告を出す運動が始まっています。子ども達を殺人者にしないように何をしたら良いか考えていきましょう!
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